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その6
「パチンコ文化賞」の意義と社会的評価

 困っている人に直接手を差し伸べるのも社会貢献なら、政治や文化などの幅広い分野で、世のために力を尽くしている人や団体を支援し、はげましていくのも立派な社会貢献のひとつだ。パチンコ業界には、こうした活動でも長い実績、伝統がある。今回は、20年の伝統をもつ愛知県遊協の「パチンコ大衆文化・福祉応援賞」や、かつて、世の文化人もうならせた「パチンコ文化賞」の活動について、改めてその意義を考えてみた──。

文化賞・福祉賞に毎年600万円を拠出

 今年5月、愛知県遊技業協同組合の通常総会が、例年通り開催された。その席上、今年で19回を数える「パチンコ大衆文化・福祉応援賞」の表彰も行われた。

 

 同賞は、愛遊協の設立25周年を記念し、昭和61年からスタートした。以来、毎年欠かさず実施されてきた。設立当初は「大衆文化」のみ対象とされ、愛知県内において、大衆文化の活性化に努める個人や団体を自薦・他薦の公募の中から表彰するというものだった。その注目度は年を追うごとに高まり、8年後の平成5年には、地道な福祉活動に携わる人を応援するための「福祉応援賞」が併設された。現在は、毎回、いずれも6つの個人、もしくは団体を選出し、それぞれに賞金50万円、総額600万円を贈呈している。

 

 今年の「文化部門」には、ボールペン画家の阿部繁弘さんや、地域に受け継がれた和太鼓を伝承する大治太鼓保存会、バリトン歌手の澤脇達晴さんなど6組、「福祉部門」には、ドメスティックバイオレンスの被害者救済を行うかけこみ女性センターあいち、視覚障害者を支援する東海音訳学習会など6組の個人や団体が表彰された。その一つである大治太鼓保存会のマネジャー、若山チズエさんは、受賞の喜びをこう語る。

 

「地域の伝統芸能を守りたい、その一心で、ボランティアのメンバーが集まって練習し、演奏会を開催したり、施設の慰問に回ったりしています。資金的には苦しく、これまでに何度も町に補助金を申請してきましたが、色よい返事はもらえずにいました。それだけに今回の受賞は大変うれしく、早速、新しい太鼓を購入させていただきました」

業界への風当たりを改善した
画期的な賞の設立

 賞の最大の特徴は、自治体が制定する賞や補助金に漏れながらも、自力で地道な活動を続けている「草の根的」な人を掘り起こし、表彰していることにある。設立当時の愛遊協の理事長で、同賞の発案者でもある小野金夫氏(現・愛遊協相談役)は、当時をこう振り返る。

 

「それまでにも端玉を集めた寄付活動などは行っていたのですが、設立25周年を迎え、記念に何か大々的な事業を行おうという話になったんですね。もともと愛知県は芸事の盛んな土地柄で、県内には人知れず文化活動を続けている人がたくさんいます。しかし、地道な活動というのは、どうしても資金的な困難さがつきまとう。そこで、パチンコも大衆文化の一つなのだから、そうした人たちを応援し、共に地域を盛り上げていこうじゃないかと考えたんです」

 

 この発案は多くの関係者に支持されたが、しかし賞の先行きを懸念する声も根強かった。当時は、今とは比べ物にならないほど、脱税や不正機、暴力団介入といった問題が多発していた時代だった。当然、パチンコ業界に対する風当たりは強かった。そのため、賞を設立しても、そっぽを向かれ、盛り上がらずに終わってしまうのではと危惧されたのだ。

 

「私自身も最後まで成功の確信は持てずにいました。パチンコと聞いて敬遠されてしまうのではないか、受賞を辞退する人が続出しやしないか、何よりも応募そのものが集まるか――。しかし、その不安の一方で、この事業が、業界イメージの改善の一翼を担ってくれればと強い期待も込められていました。だからこそ、せめて賞の名称から『パチンコ』という文字を外しては――、という声にも強い反対を貫いたんです」(小野氏)

 

 活動が具体化すると、組合傘下のホールに賞への応募を呼びかけるポスターを配り、さらに新聞やラジオに広告を出し、新聞社の元編集局長や大学教授などを中心に審査委員も組織した。準備万端に、応募を待った。いざ、蓋を開けてみれば、数百通もの応募が寄せられた。さらに、地方紙やスポーツ紙をはじめ、メディアの反響も予想以上に大きかった。現在、愛遊協の専務理事を務める廣瀬松夫氏が話す。

 

「まさに大成功でした。以来、毎年、コンスタントに200通以上の応募が寄せられています。今では、その趣旨を理解し、愛知県や名古屋市、さらに中日新聞やテレビ愛知など、10団体の後援を得るに至っています」

「パチンコ文化賞」へ発展

 賞の設立を機に、行政との関係も目に見えて好転した。総会に来賓として招かれた某県知事は、その席上でこう語った。

 

「知事である私が表彰できない分野の方々を拾い上げて表彰していただいているのは、非常にありがたいことです。これからもずっと続けてほしいというのが私の思いです」

 

 賞の設立を挟んで、15年以上にわたり、愛遊協の理事長を務めた小野氏も、業界を取り巻く環境の変化を肌で感じたという。

 

「それまでは行政の関係者に会うと『しっかりやってくれよ』なんていうのが挨拶の言葉だったのですが、しだいに感謝の言葉をいただくようになりました。この賞の設立により、県内における業界の地位は確実に向上しましたね」

 

 さらに、愛遊協のパチンコ大衆文化賞のアイデアは、当時の全国遊技業協同組合連合会(全遊協)の耳にも入り、昭和61年には全国規模の第1回パチンコ文化賞が開催された。受賞者は、当時の社会党委員長である土井たか子さん、作家の吉行淳之介さん、放送大学教授の加藤秀俊さん、日本長期信用銀行常務の竹内宏さんの4人で、それぞれに当時の松波哲正理事長からブロンズ像と副賞の賞金100万円が贈られた。

 

「まったく思いがけない受賞の打診、うれしくてね。素直に喜べました」とのコメントを残したのは吉行氏。さらに、終戦直後、東京郊外の駅のそばのパチンコ屋に入り、平和の実感を噛み締めたという思い出も披露した。

 一見、政治家とパチンコの関係がアンバランスに思えるからか、オタカさんの愛称で親しまれた土井氏の受賞も大いに話題となり、新聞やテレビでも大きく取り上げられた。

 

 翌年の第2回の受賞者は、作家の野坂昭如さん、東大教授の小田島雄志さん、女優の中村玉緒さんの3人。大喜びの野坂さんは、「パチンコで損した分を取り返した気分です」と心境を述べて、会場を沸かせた。

 

 さて次なる受賞者はと、世間の関心は高まっていたが、第3回は昭和天皇のご病状を慮って自粛となり、第4回は、全遊協の組織運営が混乱をきたし、賞も立ち消えとなってしまった。

 

 わずか2回の実施ではあったが、それが業界全体のイメージアップに大きく貢献したことは間違いない。当時、読売新聞朝刊の「トーク時評」でパチンコ文化賞を取り上げた元読売新聞編集委員の大谷克弥氏は、当時をこう回顧する。

 

「全国的な規模で大衆文化としてのパチンコをPRするのに最も注目されたのが、このパチンコ文化賞だったと思います」

 

 事実、受賞者は、その後もパチンコファンであることをメディアを通して発信し続け、さらにパチンコ業界のために汗を流して、ファン層拡大のために一役も二役も買ってくれた。また、様々な局面で、パチンコ産業への好意的な論陣を張り、パチンコ産業の“応援団”の役割を果たしてくれたことも忘れてはならない。

愛知万博への出展も予定

 昭和62年、いよいよ本格化した社会貢献事業の火を消すまいと、愛遊協では全国に先駆けて「青年部」を組織した。その初代部長に就いたのは、日遊協の現会長である深谷友尋氏である。翌年、青年部が中心となり、一大事業に着手した。名古屋で開催された世界デザイン博覧会の名古屋城会場に、「パチンコ、そのハイテクノロジーとデザイン」と銘打ち、「パチンコ・パチスロおもしろデザイン館」を出展したのだ。

 

 これは名古屋で生まれ、娯楽の殿堂として日本中で親しまれるパチンコの歴史の紹介から、現在のハイテク機の展示、さらにはメーカー最新の人気機種を一堂に集め、試し打ちコーナーを設けたパビリオンであった。会期中には県内外、そして多くの外国人を含む53万人以上の入場者を集め、その後のファン層の拡大に大きく貢献した。小野氏は、そのときの模様をこう語る。

 

「名古屋城にパチンコ台を集めて、お客さんに遊んでもらう。もちろん、金銭のやりとりはありませんでしたが、そんな画期的な試みが成功したのは、その前年の賞の設立により、行政の好印象を勝ち得ていたからでもありました。しかし、名古屋の象徴、名古屋城でパチンコが晴れ舞台に立つのを目の当たりにして、なんとも気分がよかったですね」

 

 来年、愛知県を舞台に、再びパチンコが世界の舞台に立つ。大阪万博以来、国内では35年ぶりの万博である愛知万博に、愛遊協主催のパビリオンが出展されるのだ。6月23日から7月10日までの約3週間、コンベンションホールを借り切る予定で、出展料は約1億円。愛遊協の廣瀬専務理事が、その試みへの意欲を語る。

 

「たしかに、この不況下で1億円もの予算を組むのは、正直、苦しい面もあります。しかし、地元での国際博覧会など、今後、いつ開かれるのかわかりません。ですから、今回のチャンスには、金銭には代えられない、大きな価値を見いだしています。愛遊協はもちろん、業界全体のためにも、ぜひとも大勢の入場者を集め、大成功させたいと思っています」

 

 来年、20回目を数えるパチンコ大衆文化賞・福祉応援賞の表彰式も、万博の会場で行う予定という。

皇族を招いてチャリティーゴルフ大会

 多角的な社会貢献事業を手がける愛遊協にとって、福祉活動に対する支援は一つの核になっている。それだけに社会福祉応援賞も、実は組合員の中から、大衆文化もいいが社会福祉への支援も、より充実させてはどうかという声が上がったのがきっかけとなっている。

 

 やはり青年部の主催で昭和63年から現在まで続く試みに、寛仁親王殿下をお迎えしたチャリティーゴルフ大会の開催がある。その収益金の全額が障害者施設などに寄付されるという事業で、皇族を招いたチャリティーゴルフは業界では異例なことから、大いに注目されている取り組みである。

 

「寄付先の方々のためにも、寛仁親王殿下が訪れ、一緒にプレーしてくださることは大きな意味があります。それを継続していることは、われわれにとっても大きな誇りです」(小野氏)

 

 さらに、小野氏の発案で、愛遊協では長年、「福祉映画祭」の後援活動にも努めてきた。これは障害者施設の入所者を集め、3日間にわたり、映画を上映するというもので、取り上げる映画は、娯楽映画ではなく、万人の心に訴え掛けるような古今東西の名画を中心にピックアップ。単なる上映会ではなく、映画監督や識者を招き、映画の解説も充実させ、参加者が映画の余韻に浸る時間を大切にした。普段、なかなか映画を見る機会のない障害者の方々が、毎年、楽しみにするイベントとなった。

 

 こうした多彩な活動に加え、愛遊協では、寄付活動の重要性も認識し、毎年、5000万円近くに及ぶ寄付金を計上している。愛知県重症心身障害児(者)を守る会や、中部盲導犬協会、AJU自立の家など施設に直接贈呈するケースもあれば、県や市を介しての寄付も設けるなど、贈呈先が偏らないように配慮されている。廣瀬氏は、今後の寄付活動の展望をこう話す。

 

「これまでは、こちらが寄付先を選定し、寄付をするという形がメーンでした。しかし、今後は、より効果的な寄付活動を行うために、たとえば車やパソコン、その他の設備など、広範な施設から、不足している備品を具体的に挙げてもらい、それに応じた支援をしようという声も上がっています」

コンサートホールに現れた業界のあるべき姿

 昨今、業界内でもカジノに対する論議が尽きないが、今の状況を小野氏はこう話す。

 

「カジノというのは、完全なる賭博です。ですから限定された地区でしか楽しめない。一方、パチンコは娯楽と目されているからこそ、日本のどこに行っても遊ぶことができるのです。その前提をつねに念頭に置き、ギャンブル性の追求に躍起になってはいけません。いわば身の程を知り、自重を心掛けることが、業界の存続のためには不可欠だと考えています」


 もっとも、娯楽とはいえ、ギャンブル性が過熱し、それがしばしば社会問題化してきたのも公然の事実。
 だからこそ、パチンコ業界は、社会貢献が義務付けられている産業であると小野氏は力説する。

 

「われわれが射幸性を扱う業界である以上、ときには社会に迷惑を掛けてしまうことがあるということを忘れてはいけないと思います。その罪滅ぼしという意味においても、無私の心による社会への貢献は不可欠なのです」

 

 小野氏には、地域社会との共生という点で一つの思いがある。愛遊協が設立30周年を迎えた折に、名古屋市が運営する名古屋フィルハーモニー交響楽団に依頼し、1800人の市民を招いて記念コンサートを開いたことがあった。楽団にお願いし、そのコンサートの冒頭で演奏されたのが、パチンコ業界のテーマソングとも言えそうな「軍艦マーチ」だった。

 

「楽団による美しく、そして迫力ある音色が会場に響き渡ったときは実に気分爽快でした。会場は拍手喝采、大いに盛り上がりました。それを見て、それがパチンコ業界のあるべき姿、言い換えれば、市民との心が通じ合った理想の形なのではないか、そんな思いにさせられましたね」