受賞作品のご紹介

エッセーの部

 明日は休んでいいぞ。上司の口からやっとその言葉が出た。
 何をしよう。休みが重なった兄と相談する。「何がしたい?」
 「パチンコがしたい」。私は迷うことなくそう告げた。
 東日本大震災から一週間、わずかのガソリンを頼りに家から一時間もかけて、街の中心部のパチンコ店に兄と二人で出かけたときのことだ。二人とも疲労は激しい。震災からずっと、荒れ果てた職場を立て直すことに必死だった。電気も水もガスも絶たれ、食事も睡眠も成り立たない。それでも働き続けた末、一週間ぶりに得た休みだった。
 その時の世の中は、「非常事態」に満ちていた。封鎖された道路。スーパーに並ぶ行列。静まりかえった街。ラジオから流れてくる絶望だけが情報の全てを占めていた。それでも、いや、それだから私は、どうしてもパチンコが打ちたかった。
 たどり着いた店内はいつになく満席だった。店の中は薄暗く、店員さんの数も少なかった。注意書きが目につく。トイレに水は流れません。いつも通りのパチンコ屋のサービスは、最低レベルにまで落ち込んでいた。みんな切らしたせいだろうか、煙草の臭いはなく、ジュースの自販機は全て空だった。それでも誰も文句は言わない。使いどころのなくなったお札を、慣れた手つきでサンドに入れている。
 私はそんなホールの中を、高揚しながら歩いていた。何を打とうか、頭はそれでいっぱいだった。いつも漠然と眺めていただけの台が、これ以上なく楽しそうに映る。結局、次にいつお金が下ろせるとも知れないから、1円パチンコに座ることにした。打ち慣れた、大好きな台を選ぶ。ハンドルを回す。銀色の玉が飛び出して、釘と釘の間を流れる。ヘソに入って流れ出すBGM。リーチもかからずハズレ。そんな光景が、たまらなく嬉しかった。
 余震はふいに訪れる。みんながハンドルから手を離し、ぐらつく台を見守る。揺れがおさまった。「大丈夫かな」「強くはなかったね」。そんな言葉が、見知らぬ他人同士の間を行き交う。
 ふいにチャンスは訪れた。これならば当たるだろう、と期待出来る演出。予想が当たって、大当たり。たまたまの確変の大当たりが、自分を激励してくれたのだと錯覚するほど嬉しかった。当たりは続く。一度一度の大当たりが、惜しくなるほど嬉しい。
 帰りの時間はやってきた。また打てるときを夢見て、惜しみながら席を立つ。結果は少しのプラス。それでも充分だった。景品でたくさんのお菓子を貰う。食料の確保すらままならなかったあの時、コンビニでも売っているようなお菓子は、最高の贅沢品だった。家族に配って、後日職場の人へも渡す。
 「ありがとう」の言葉が、いつになく驚きに満ちて、そして嬉しそうだった。
 あの震災からもう三年が経つ。近郊で、いの一番に営業を再開したあのホールも、今は当たり前のパチンコ店の中に紛れてしまった。けれど、私はあの日以上に楽しいパチンコを、未だ知らない。
 ギャンブルだ、遊技だ、いろんな議論がある。たくさんの勝ち負けを経験してきた私も、日々さまざまなことを思う。あの日を振り返り、私がパチンコについて思うこと。たった一つの結論は、「パチンコはとっても楽しいものだ」。シンプルで単純だけど、それが揺らぐことのない答えなのだと思う。

−終わり−

 「お父さん、今日も行くの。ほんと、好きだよねー」
 2月の日曜日、午後1時、パチンコ店に出掛ける私に、15歳の息子が声をかけてきた。
 「まあね。好きだからさ。それじゃ」
 息子に片手で挨拶し、行きつけのパーラーへ向かう。今日の遊技のために、今週も仕事に手を抜かなかった。
 今年でパチンコ歴34年。立ったまま遊技する手打ち式の時代から、チューリップが開く平台、スリー7デジタル期の革命的な登場、現金連チャン機の普及と社会的な規制、大型チェーン店の進出による個人店の経営苦難、1パチ……。大衆の娯楽として、黄金期・衰退期・新時代をあまねく見てきた。
 昭和四十年代、近所には個人経営のパチンコ店が何軒もあった。デジタル式のパチンコ台など想像もつかない、数百円で遊べる手打ち式の時代だ。台の裏には店員が入り込み、玉を補給していた。小学2年生のときに、父にパチンコ屋に連れて行かれ、パチンコの面白さに目覚めた。子供連れでも、比較的寛容な時代だった。思い返せば、パチンコ好きは父から受け継いだのだった。
 「もう夕食の時間よ。お父さん、呼んできて」
 日曜日の午後6時頃、決まって母から指令が飛ぶ。パチンコ店まで迎えに行くのは、小学5年生の自分の役割だった。自宅からパーラーまで、走れば数分。父は決まって角台の盤面を見据えていた。たばこの煙をくゆらしながら、黙々と打っている。
 「お母さんが、もう夕ご飯だから、帰ってきなさいって」
 「おお、そうか。もうそんな時間か……」
 ちらっと腕時計に目を移す父。「もうちょっと待ってくれ」と言われる日もあった。父は玉を溜めた箱を持ち、受付カウンターの計量機に流す。五百発程度だろうか。

出玉で2、3箱のピース(たばこ)を受け取った後、「残りは好きな物を取りなさい」と促して、チョコレートやガム、缶ジュースなどに換えてくれた。もちろん、箱に玉がない日もある。戦利品がゼロの日は、帰り道でアイスクリームを買ってくれた。「今日はついてなかったよ」とポツリ。翌週も必ず出かけて行ったから、止める気は毛頭ないらしかった。
 なんで父はパチンコを打ち続けるのだろうか。母はあまり良い顔をしないというのに。子供の自分にはよく理解できなかった。ある日、父に尋ねてみた。
 「お父さん、なんでパチンコが好きなの?」
 父は暫く思案し、口を開いた。
 「そうだなー。なんて言えばいいかなあ。たぶん、お前が大きくなったらわかるよ」
 何だかはぐらかされた気分だ。
 「いつになったらわかるのさ」と何度か訊いたが、「そのうち教えるよ」としか答えてくれなかった。
 父が亡くなって、まもなく十七年。私は五十代半ばに近づいた。父がパチンコに熱中していた歳をとっくに超えた。
 自分にとってパチンコは、かけがえのない趣味になっている。勝敗にもこだわるが、盤面に向かうひと時が好きだ。馴染みの機種に向かい、玉を弾くと、家庭や仕事の迷い、悩みから暫し解放される。大当たりすれば、なお良い。パーラーにはほとんどの客が独りで来る。群集の中で孤独なのに、寂しさも空しさもない。滅多に話は交わさないが、いつも数名の見知った顔がいる。〈お、今日も出してるな〉〈深刻な顔だ。やられてるな〉。密かに観察する自分がいる。亡き父も、同じような気持ちだったのか……。
 最近、息子からこんな質問を受けた。
 「お父さん、なんでパチンコが好きなの? どうして毎週行くの?」
 暫く考えてから、こう答えた。
 「そうだなー。大人になったら、お前にもきっとわかるよ」
 「えー、ちゃんと説明してよ」
 彼は納得出来ない様子だ。
 息子よ、仕事に就いたら、パチンコを趣味にしたらいい。

−終わり−

 手動のハンドルを回すと、はじけるように玉が飛び回り、あれよ、あれよという間に大フィーバー。瞬間、台を壊してしまったのかと私は大慌て。「すみません、止まらなくなってしまったのですが」と近くのスタッフの方に助けを求めたら、ひと言「おみごとです!」。これが私の大学生時代のパチンコ初体験の思い出だ。
 先日台湾からの来客があり、日本の文化に親しみたいと散歩にでかけると、彼らが最初に興味を示したのはパチンコだった。彼らは日本統治下時代の台湾で日本式の教育を受けた世代でもあり、日本語を理解し、大変な親日家である。二十年ぶりの来日で、時代の流れとともに彼らの関心も多岐にわたっているようだった。ありがちな日本文化で接待するよりも、ありのままの今の日本を見てもらったほうが楽しめるのではないかという発想に切り替えて、異邦人をおもてなしすることにした。実は私もあの輝かしきファーストラックの思い出以来、すっかりご無沙汰していたパチンコだ。これをきっかけにと彼らとともにひととき、パチンコで和んでみた。すっかりパチンコに興じた私たちは、ふだんとは違った顔をお互いに見せることで、これまでよりもさらにもっと親しくなれたような気がした。
 異国間の国際交流というと、私たち日本人はともすれば、自分たち日本人でさえもよくわかっていない伝統文化などを紹介したくなりがちだが、異邦人にとって、私たちが日々過ごす日常的な生活こそ、日本文化を知るきっかけになるのではないかと思った。実際、パチンコに興じている人たちをウォッチングしていると、さまざまな日本人に出会える。ヘアスタイルやファッションなど、異邦人にとっては関心事がたくさんあるようだ。また、人物クローズアップをして妄想をしながら、あの人はどういう家族構成でどんな職業をしている人か、あるいはしてきた人かなど、イマジネーションを膨らませながら、勝手にああでもないこうでもないという話に華を咲かせるのも楽しい。「日本人はパチンコに興じているときも、まじめに取り組んでいる」というのが、彼らの一致したパチンコ族のイメージだった。日本人は律儀という印象があるようだった。

 一週間の滞在の後、帰途につく彼らに一番印象に残ったことは何かをたずねると、開口一番「パチンコ」と口にした。京都の古都探索でもなくスカイツリーでもなく、パチンコだった。開店前にパチンコ店に行列ができていることも、彼らにしてみれば驚きの光景だったようだ。店のPRで配布していたティッシュペーパーにも興味津々だった。店内の雰囲気を盛り上げるためのさまざまな工夫にも、彼らは心躍らせていたようだった。今度来日するときは、もっといろいろなところのパチンコ店に行ってみたいとまで言い出す始末。
 普段、気にもしなかったパチンコが異国間文化交流にこれほどまでに効果があるなんて、想像すらしたこともなかった。恐るべし、パチンコ! を実感した。後日、来日された最年長者が、帰国後に地元の人たちに日本で興じたパチンコの話をしたところ、皆、大変興味を持たれたようで、ぜひ自分たちも来日して日本のパチンコをしてみたいという話で盛り上がったとのこと。口コミでパチンコの魅力を伝える情報が拡散していく兆しを、メールでも教えてくれた。
 パチンコは時代の環境を反映する文化的ツールだ。そして国境を越えたコミュニケーションツールでもあることを、今回の件で実感した。東京オリンピックが開催される2020年に向けて、今後ますます海外からの来日観光客は増えるだろう。そのときに、これが今の日本だということを海外にアピールできるように、次世代のパチンコが日本の顔として存在していて欲しいと願う。
 パチンコは時代の環境を反映する文化的ツールだ。そして国境を越えたコミュニケーションツールでもあることを、今回の件で実感した。東京オリンピックが開催される2020年に向けて、今後ますます海外からの来日観光客は増えるだろう。そのときに、これが今の日本だということを海外にアピールできるように、次世代のパチンコが日本の顔として存在していて欲しいと願う。
 そして、私たちは地域のパチンコ店を、国境を越えて人と人が交わり、互いを理解するための場所として活用していけたらいいと思う。さらに日本のパチンコを堪能した人たちが自国に戻り、日本文化の一つとしてパチンコの楽しみを伝え、一人でも親日家が増えたらとても嬉しい。そのことがひいては、日本びいきな人たちを世界中に増やしていくことにもなると思う。
 あまりにも身近にありすぎて、気がつかなかった日本ののどかな光景。町のなかに存在するパチンコ店もそれを構成している一つだ。そのありのままの日本の良さを海外の人にもっと知ってもらい、誤解のないように相互理解への努力をしていくべきなのだということを、次世代に伝えていかなければならない。無理せず、気楽に。パチンコなら、パチンコだからこそ、これからもずっと、これまでよりずっと、それを可能にしてくれるはずだ。

−終わり−

 子どものころ、悪者をやっつけるヒーローが大好きだった。毎回違った敵と戦い、最後には絶対に勝つ。そんなヒーローにあこがれていた。特に、仮面ライダーが好きで、ショッカーや怪人にたった一人で立ち向かう姿は、言い表しようがないほどに格好良かった。
 目を輝かせて仮面ライダーを見ていた少年は、気がつけば当時の本郷猛くらいの年齢になっていた。本郷猛みたいに格好良くなっているかと言えば、全くかすりもしない。プライベート、仕事ともに思い通りに行くこともあるけれど、思ったようにいかないことの方が多い毎日だ。理想と現実のギャップにストレスがたまってしょうがない。だから暇ができると、ストレス発散に近くのパチンコ屋に出掛ける。
 座る機種は決まっていて仮面ライダー系の台だ。吸い込まれるパチンコ玉のように台に着いた。私のヒーロー「仮面ライダー」がディスプレイ上でショッカーと戦っている。その姿を見て、「ヒーローになる夢はどこかに消えていったな」、ハンドルを握りながらぼんやりと思う。

パチンコの仮面ライダーは、子どものときと違って怪人に簡単に負けるし、ショッカーにすらコテンパンにされる。パチンコだから当然で、なかなか勝てない。しかし、こちらは演出を見ているだけでも結構楽しい。だから仮面ライダーを「いつも勝てとは言わない。たまに勝てれば良い。がんばれ」と応援して、のんびり構えて玉を弾き続ける。そうして見守っていると、時には敵に勝ってくれて、ジャラジャラと玉を出してくれる。逆に負けっぱなしで良いところが全くないときもある。
 そんなヒーローだけれど、思うようにいかない部分が多いという点で自分とかぶる。だからじっと画面を見入ってしまう。遊んでいた台と「バイバイ」するときに、ライダー以外のショッカー達から「明日もがんばれよ」と言われているような気がした。サイクロンを回してバイクまで出ているのに、怪人に負ける散々な仮面ライダーだったけれど、私のヒーローであり続けた。泥仕合をしているくせに格好良く見えるからずるい。泥仕合をしても戦い抜くのがヒーローだと教えているみたいだ。

 収支で言うと負けることが多い。しかし、精神的な面ではたいていプラスになって帰宅できる。なぜなら、パチンコをして帰るころには気持ちが落ち着いているからだ。「私のヒーロー、仮面ライダーだって怪人に負けるんだ。失敗することがあったって良いじゃないか」そう思えて、明日の仕事に向けて気持ちを切り替えられる。少しはヒーローの方向に自分は向かっているのだろうか。できれば向かっていると願いたい。
 光と煙と爆音が入り混じる空間で、気持ちを落ち着かせられる。普通に考えたら、落ち着けなさそうな場所で、負けることが多くて精神的に悪そうだけれど、最後には気持ちを落ち着かせられる。パチンコって不思議な遊びだ。

−終わり−

 「あれっ、こんな所で何してんだ、シアトルに帰ったのではないのか?」
 と驚く私を見上げ、ミス・キャシーは顔を赤らめた。
 「しまった、バレたか。──こちら、私の恋人、マイケルね」
 隣の台で玉を打っているのは、背が高く無精髭を生やした青い目だった。
 職場の同僚キャシーは大の日本びいきで、生半可な日本人よりも日本文化に精通している。
 「私、『恋』よりも『孤悲』、『涙』より『恋水』の方が好きです」と、万葉仮名を読める彼女は暴走族にまでそれなりの理解を示す。
 「彼らもやはり日本人の血をしっかり引き継いでいるのよ。英語がいっぱい散りばめられた歌をがなりたてるミュージシャンよりずっと。『愛裸舞優』とか『夜露死苦』とか、彼らが好む言葉には万葉集の伝統が生きてるわ」

 日本の武道に興味を抱いた彼女は忍術道場に通い、暇があれば特に古武道の現場に足を運び、写真を撮り続ける。剣術、柔術、空手、槍術、弓術、鎖鎌術、隠し武器などなど。
 「いつかこれらを本にまとめて外国に紹介したいのよ。──あなた、分かるかしら? 『男』と『漢』の違い。パチンコでも使い分けているでしょ。古武道に私は『漢』を感じるのよ」
 東日本大震災のときも、帰国する仲間を尻目に日本に留まった彼女。「私は敵に背を見せない」
 その一方で、福島原発の事故で飛散した放射性物質から幼い我が子を守るために、沖縄に移住した一家をかばった彼女。「非国民、敵前逃亡!」と罵る輩に、彼女はこう食ってかかったのだった。
 「何を言ってるんですか。子供の命を守るのは、万国共通の親の義務です。あなた達は『銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも』の山上憶良の親心を忘れたんですか」
そんな彼女にとってパチンコもまた、日本を理解する上で興味の尽きない娯楽だった。
 「あんなに面白いのに、どうして世界に普及しないのか、私には不思議でならないのよ。トランプやルーレットよりずっと手軽に楽しめるのに。一円パチンコなら、一万円で一日遊べるでしょ」

 俳句、川柳をたしなむ彼女にはパチンコを詠んだこんな句もある。
 引き際の美学背にしてホール出づ
 人生も予想はよそう弾く玉
 手の届く幸せ運ぶ銀の玉
 その日、パチンコ帰りに寄った居酒屋で、大負けしたマイケルを一人勝ちしたキャシーがからかう。
 「ビギナーズラッキーが来なかったとは、あなたも運の悪い人ね。三万円もつぎ込んで。もうパチンコはコリゴリかしら?」
 するとマイケルは、悔しがりながらも目を輝かせた。
 「いやぁ、負けても面白かった。明日、もう一度チャレンジしてみよう」
 「エッ、明日は奈良京都よ。今年のクリスマスは日本で優雅にと、急きょ予定を変更したのはあなたよ」
 と目を丸くするキャシーに、マイケルは折衷案を示した。

 「日本の古都でのパチンコ、何だか最高のクリスマスになるような気がする」
 ホッケの炉端焼き、刺し身、天麩羅に日本酒──散々飲み食いしながらパチンコ論に花を咲かせる青い目の二人。
 「アキバもステキだけれど、来たる2020年の東京オリンピックを機に、パチンコももっと外国人に脚光を浴びていい。何しろ日本にしかないんだから。僕はやってみて初めて面白さが分かったよ」
 「どういう点が面白かったの?」
 「台ごとに物語があるということだよね。それを楽しみながら、勝ち負けのドラマまでくっついてくる。こんな遊技場は他にはないよ」
 エリート大学を卒業した二人のインテリ青い目の話に耳を傾けながら、私が思わず相槌を打ったのは、キャシーの鋭い指摘だった。
 「パチンコは座禅や武道と同じよ。勝ち負け以上に無の境地に浸る──そういうことじゃないかしら」
 だから勝とうと思えば負けるし、派手に負けても心がスッキリすると、キャシーは分析する。マイケルもまた彼女の慧眼に敬服したようで、こうパチンコ論を締めくくった。
  「してみれば、パチンコホールは単なる遊技場ではなく、お寺か道場みたいなものだな」
 ……奈良京都での二人のクリスマスが如何様のものになるのか、自ずと目に浮かぶ私だった。

−終わり−

 ある年の大晦日に、父とパチンコに行った。母親が大掃除をしているのに、父と私は家でゴロゴロしていたので、「二人とも、パチンコにでも行ってきなさい」と、半ば追い出されたのだった。「俺たち、戦力外通告されたな」。そんなことを言い合いながら、近所のパチンコ屋さんに入った。
 ところが父はジャンジャン出るのに、私の台はなかなか出ない。二人並んで打ったのだが、父の台は賑やかに玉を吐き出しているが、私の台は玉を吸い込んでいくだけなのだ。大金をつぎ込んだわけではないが、やはり悔しい。
 「人生は競争だ。パチンコも競争だ。父さんには負けないもんね」
 ふざけてそんなことを言ったら、父が急に真面目な顔になって、こう言った。

 「父さんはそうじゃないと思うぞ」
 私に対して滅多に反対意見など言わない父だが、この時は珍しかった。父はこんなことを言った。
 「『人生は競争だ』って多くの人は言うけど、父さんは違うと思うんだ。よく考えてみろ。死ぬまで競争し続けるなんて、しんどいと思わないか?」
 ……なるほど、と思った。教師も上司も同じことを言うから、「人生は競争」だと思い続けてきたけど、確かに、死ぬまで競争が続くということはしんどいことだ。
 『人生は競争』っていう考え方は、多くの人を苦しめてきたと思うんだ。そうだろう? 世の中には競争に向いていない人間もいるんだから」
 うるさいパチンコ屋さんの店内で、どういうわけか父の言葉はすんなり聞こえた。
 「父さんはねえ、人生はパチンコみたいなもんだと思ってるんだ。多少損してもいい。迷惑をかけない範囲で楽しめればいい。そう思ってる」
 あはは、と笑って隣の父を見たら、父は真面目な顔をしていた。父はふざけてこんなことを言ったのではないのだ。

  「日本人って、よく人生をマラソンに例えるだろう? 『人生は長くて苦しい競争だ』っていう意味なんだろうけど、父さんは違うと思う。そんなネガティブな見方じゃなくて、パチンコみたいに気楽に楽しくやればいいと思うんだ。誰かに勝ったとか、誰かに負けたとかじゃなく、自分のペースで楽しめば、それでいいと思うよ」
父は遊び人で、一通りの遊びはし尽くしてきた人間である。その父が言う人生論は、妙に説得力があった。
 「競馬や競輪と違って、パチンコにはあんまりヤジがないだろう? 『やっぱりあれを買えば良かった』というような後悔もない。予想を必要としないゲームだからそうなんだけど、パチンコみたいに呑気にやっていくのが一番だと、父さんは思うんだ」
 父は教育を受けておらず、酒を好み、粗暴に生きてきた人間だが、六十年以上生きていると、考え方も成熟してくるのだろうか。
 父の人生論が百パーセント正しいとは思わないけど、あながち間違ってもいなかった。人生がマラソンだとしたら、いかにも辛くて苦しいが、人生がパチンコだとしたら、それは結構楽しいのではないか。好調の時もあれば不調の時もある。それでも、やっている最中はなんだか楽しい。それでいいのではないか。

 実はその当時、私は失業していた。家賃が払えなくて一時的に実家に戻っていたのだが、今考えてみると、どうやら父は私を元気づけようとして、この「パチンコ人生論」を言ったようである。「同年代はみんな正社員で頑張ってる。俺も正社員にならなくちゃ」。しきりにそう言って焦っている私をいつも見ていた父は、私に「もっと肩の力を抜いてリラックスしろよ」ということを言いたかったようだ。
 今でもパチンコをすると、あの時の父の言葉を思い出す。そして、「人生はパチンコみたいなもんだ」という言葉は、なかなかいいなあと思うのだ。

−終わり−

 私はパチンコが好きだ。パチンコ台は自分自身を映し出す。だから私は、迷った時、悩んだ時、嫌なことがあった時、決まってパチンコに行く。
 初めて足を踏み入れたのも、母と大喧嘩をした雪の日だった。原因は、電気の消し忘れだったか、水の出しっ放しだったか、もう覚えていないが、ささいな事で大喧嘩をした。家に居たくないのに、アポなしで会うことのできる友人も見つからず、あてもなく車に乗り込み外へと出かけた。
 そんな時だった。運転する車の窓にパチンコの看板が飛び込んできたのだ。外は雪が強くなり、冷えた車内にいた私にとって、想像に足る店内の暖かさは、もうそれだけで魅惑だった。

 駐車場に車を停め、店内へ入ると、そこは音楽と、玉の流れる音で溢れかえっていた。ゲームセンターに似たその雰囲気は、思っていたより馴染みやすく、考えていたより楽しげだった。くさくさした気持ちを胸に抱えながら何気なく台の前に座った。すると、そこには台のガラスに映る自分が居た。鏡とは違って、透明に私を映すそのガラスは、私の不機嫌な心までをも透かして映し出しているようで、この場所でなら私は、自分に素直になれる気がした。
 そんなことを考えながら、ハンドルを握り、玉を流し始めた。リズミカルに流れていく玉、単調な音楽に、時折かかるリーチ。それらを見ているうちに、さっきまでのこじれた気持ちがほどけていくような気がしてきた。玉が台に入るように、ごく自然に自分の気持ちに整理がつく。そうか、こんな単純なことだったんだ。喧嘩したんだから謝ろう。素直にそう思うことができた。台に映る私の顔には明るさが戻り、いつしか心に降る雪も止んでいた。

 この時から、私は何かに迷ったり、悩んだりしたら、まずパチンコ屋に行くことにしている。本体の私と、台に透けて映った私の間には、自分を見つめるのに必要な距離があるし、大当たりを待つ間には自分を省みるのに十分な時間がある。だから私はパチンコに行く。そしてその都度、きちんと答えを出しながら前に進めている気がするのだ。友人と派手に喧嘩してしまった時も、引っ越そうか迷った時も、プロポーズされた時も、パチンコに行った。「強情を張らずに仲直りしよう」「一緒に住もうと言ってくれているのだから引っ越そう」「愛しているんだから結婚しよう」と、毎回きちんと心にただ一つの結論が浮かび上がった。 私にとってパチンコ屋とはそういう場所なのだ。
 そして胸のつかえが取れた時、不思議と大当たりを引く……ことが多い。みるみるうちに玉が貯まり、背中に箱が積み重なっていく。そんな時、私は何だか大きな賛同を得たような気持ちになる。「あなたの出した答えは正しいよ。それでいい」と。私は強力な味方を手に入れたような心強さで、光と音の世界に没頭する。これが私のパチンコだ。
 そして今、私は再び迷っている。今回は一人ではなく、夫と二人で迷っている。家を買うか、長期の旅行へ行くか。そのどちらも、自分たちの人生の大きな財産になることは間違いないと思う。 でもどちらを選択すればいいのか……。毎夜二人で頭をひねっているが、一向に答えは出ない。だから私は、次の休みにパチンコに行こうと思う。夫を連れて、いつもの店へ。 台の向こうで待っている、答えを持った自分に会いに。

−終わり−

 二十数年前、父親に連れられて初めて、とあるホールのドアをくぐった。体験したことのない大きな音、煌びやかな台、とはいえ今の台とは比べ物にならないほどシンプルではあったが、それでも心と身体に響く迫力と異空間に来ているような感覚に、ずっとドキドキしていた。
 当時男性がメインのパチンコ店に、嫁入り前の娘を父が連れて行った理由──それは我が家なりの嫁入り道具の一つだったらしい。いつか嫁に行ったとき、その相手がパチンコやパチスロをしても、どんなものか理解をして無駄な喧嘩をしないように経験させることが、パチンコ好きの父が娘に教える花嫁修業。よそ様にしてみれば、なんてことをと思われる斬新な考えが、その後の私をずっと救ってくれることになるとは、当時は考えもしなかった。
 その後、結婚し子供を産み育て始めた私の心を救ってくれたのはパチンコだった。育児中の母親は孤独との戦い、もちろん子供が学校などで出掛けている時だけ遊ぶわけだが、少なくともホールの店員さんは私に向かって笑顔を見せてくれる。それが本当に救いだった。
 それではどうして……?

 当然ではあるが、ドアを一歩入った瞬間から続く高揚感は、始めたあの頃から変わることなく楽しませてくれる。喧騒の中で、自分自身と向き合う時間を作るきっかけをくれるのも、ホールに居るときが多かった。もちろん、自分の中で厳しいルールを作って、家族に迷惑をかけることなく楽しむ。それが一番大切なことだろうと、今でも思う。低貸しのパチンコ・パチスロが出てきてくれて、遊びの幅も広がった。時間や懐具合などに合わせての遊び方ができることは魅力だ。
 笑顔に癒され、台にドキドキし、私の楽しみ方は他の人のそれとは違うのかもしれないけれど、そんな楽しみ方もあるよと伝えたい気持ちがずっとあった。もちろん、勝ち負けがはっきりする場所であり、遊びではあってもついつい熱が入りすぎてしまうこともわかるし、時に自分にもそんな瞬間は訪れるけれど、そんな時はあの日初めて入ったお店の雰囲気や、全身で感じた感覚を思い出すようにしている。

 当時、若い女の子が……と後ろ指を差される場面にも出くわしたが、心から楽しめて気分を変えることができる。異空間だからこその、自分自身のリセットボタンがそこにはあるのだ。今は、男性女性を問わず、若い方々が数名で楽しそうにしているところをよく見かける。正直そんな事をできる時代が来るとは思っていなかった。そんな若者たちを見ると、素直にうらやましいと思う。
 まだ子供が小さかった頃、「ストレス解消は何してるの?」とか「趣味は?」とか、そう聞かれて答えに困った時期も当然あったから。今はそう質問されても、胸を張ってとまではいかないが、「たまにならパチンコに行ったりするよ」と言えるようになった。
 母親のくせに……。今度はそういう非難を受けたりもするが、家族に迷惑を掛けず、承知してくれているのならば、堂々と遊んだらいい。やっとそう思えるまでになった。
 二十数年という時間の経過を、自身で体験したからこそわかる今の開放感というか、陰気ではない感じがなぜか嬉しい。自分のスタンスはそれに応じて変わっているのか? そこは自問自答するも簡単には答えが出ない。

 何も無理をして答えを出すものでもないとは思う。人生の半分を一緒に過ごしてきた大切な、それはまるで友達のよう。これからも、無理せず大切に付き合っていきたい。それが、この長きに渡る私の大切なパチンコ・パチスロライフなのだから。

−終わり−

 「昨日、パチンコ行ってきてん」
 つきあって一年になる彼が、ある日突然そう言った。その言葉に私はとても驚いて、「あんなんお金の無駄や!貯金もないくせに何してるん」と彼に怒った。私の彼は、趣味や付き合いにどんどんお金を使ってしまう。それゆえ、学生でもないのに貯金はかなり少なかった。「結婚しような」なんて軽く言うくせに、貯金をする気配もないし、どうせ口だけだと思っていた。それでもギャンブルだけはやらない人だったのに、ついに手を出してしまったか。そう思って愕然としたのだった。
 そんな私に、「俺も誘われて嫌々行ったんやけど、すごいよ、大勝ちしたから!」と興奮ぎみに話す彼。パチンコをよく知らない私は、よくあるビギナーズラックとかいうやつだろうと思っていた。でも、それから彼は、せっせとパチンコに行くようになってしまったのだが、その勝率はなかなかのものだった。

 そしてある日のデートで、「人生経験やと思って、一回行かへん?」と彼に誘われ、一緒にパチンコに行ってみることにした。いつもは素通りする、キラキラの大きな建物。一歩中に入ると、大きな音に思わず耳を塞いだ。彼が渡してくれた耳栓を着けて向かったのは、ぱちんこAKBのコーナー。私もAKBは好きだから、なんだかちょっとわくわくした。彼と並んで台に座り、やり方を教えてもらう。よくわからないまましばらく打っていると、隣から突然賑やかなサイレンが聞こえてきた。驚いて目をやると、彼の台に虹色のライトが瞬き、画面いっぱいに笑顔のアイドルが映った。「大当たり!」
 その日は結局、私はお試し程度でやめておき、彼が勝って夜ご飯をご馳走してくれた。何だか不思議な気分だった。

 その次のデートでも、私たちはパチンコに行った。行きたいと言い出したのは、なんと私だった。それからは、パチンコデートは私たちの定番になり、二人でいろんなお店に遊びに行った。それまで、私と彼の共通の趣味はあまりなかったので、たとえ負けても、一緒に打って一喜一憂することが何だか楽しかった。
 パチンコは、当たれば楽しいのはもちろんだけど、あの空間も好きだ。そういう演出がしてあるとわかってはいても、毎回ワクワクせずにはいられない。店員さんも笑顔でしっかりと接客してくれるし、さまざまなお客さんが来ているのも面白い。ガラの悪い人しかいないと思っていたのに、皆、意外にも行儀が良くて優しいのだ。ちょうど彼がいないときに初めての当たりが出て、玉の抜き方がわからず焦っていたら、隣のおじさんが助けてくれた。彼のいた台に玉が残っていたとき、私と同じ年くらいの女の子がわざわざ教えにきてくれた。そんな温かい出来事もあった。声が通りづらいから、みんな表情やジェスチャーで伝えようとするのも、なんだか新鮮で楽しかった。

 そうして、何度目かのパチンコデートの帰り。突然、「これから勝ったとき、二人で貯金しよっか。結婚資金!」と彼が言い出した。その時は冗談だと思っていたけど、その日から彼は一人で行った時の分も含め、全部私に渡してくれた。それから、少しずつだけど私たちの「パチンコ貯金」は着実に増えている。このきっかけをよく思わない人もいるかもしれないけれど、初めて彼が結婚に向けてしてくれた行動が、私は素直に嬉しかった。きっと、本当に結婚できるのはまだまだ先だし、負けが続けばパチンコ貯金だなんて言っていられなくなるだろう。でも今は、手を繋いでお店に向かうワクワクする時間や、当たったときに二人でガッツポーズするうれしい瞬間。貯金用の通帳を見ながら、いつかの結婚のことを話しているとき。そんな楽しい時間をくれたパチンコと出会えて良かったと思っている。
 私も始める前はパチンコに偏見を持っていたけれど、それはパチンコをよく知らなかったからだ。もちろん自制心をなくしてしまえば、身を滅ぼすことになるけれど、それは何もパチンコに限ったことではないと思う。むしろ彼はパチンコを始めてから、勝ち負けについて前より真剣に考えるようになったという。パチンコには、そんな側面もあるのだと思った。悪い話ほどよく広まるけれど、私たちは間違いなくパチンコに良い影響を与えてもらった。そんな人もいるのだということを知ってほしいし、毎日頑張っている人の息抜きや楽しみの場として、もっとパチンコが浸透すればいいなぁと思う。
 そんなわけで、今日も私たちは仲良くパチンコ屋に向かう。仕事を頑張った週末、二人でパチンコをしている時間が、今一番の息抜きになっていると彼は言う。そんな彼の笑顔を見ると、「いつか夫婦になれたら、パチンコ屋さんにお礼しに行かないとなぁ……」と、いつも心の中で思うのだ。

−終わり−

 私が初めてパチンコをしたのは、今の会社で働き始めた26才の時です。大学生時代はたくさんの友人たちがパチンコ屋へ出入りしていましたが、自分は射幸性のあるもの全てを毛嫌いしていたので、パチンコ屋に行く自分を想像すらしたことがありませんでした。そんな自分がパチンコ屋で働きたいと思ったきっかけは、合同就職説明会に来ていた今の上司から声を掛けられたことです。
 「接客は好きですか?」
 このフレーズを5年経った今でも忘れません。その頃、パチンコ屋は煙草の煙とガラの悪い客、そして飛び交うお札というイメージしかありませんでした。仕事を探していた時、学生時代からアルバイトはもっぱらサービス業だった為、自分の接客力を活かせるサービス業に就きたいと思っていました。そう考えていた時に「接客は好きですか?」の言葉を受けて、パチンコ業界について調べ、実際に自分の目でパチンコ屋を見て回り、自分がパチンコ業界に対して偏見を持っていたことを知ったのです。明るい店内に、明るく元気よく働く従業員、その従業員たちは愛想も良くて、たくさんのお客さんと仲良く会話をしていました。これが、私がパチンコ業界へ入るきっかけとなったのです。

 実際にパチンコ店で働き始めると、特に常連の年配のお客様からよく話しかけて頂いて、パチンコやスロット以外の、例えば「昨日は何処へ行った」「今度息子が遊びに来るんだ」など、プライベートなことも話ができるようになりました。中には、クレーム対応をした以降にコミュニケーションがとれるようになり、常連様になって頂いたお客様もいらっしゃいました。
 ホールで働いていて、何より嬉しいのが「今日もあんたの顔を見に来たよ」という言葉をかけて頂いた時です。全てのお客様ではありませんが、特に低玉貸しコーナーのお客様たちは、パチンコ・スロットをしに来る以外にも、他の常連様や従業員との会話を求めて来店されるのだと私は考えています。お客様へ笑顔で元気な挨拶を届け、コミュニケーションをとり、お客様に楽しんで頂く。この接客業を今は誇りに思っています。

 私は今のパチンコ店で働き出して、計三回転勤しています。初めての転勤は、北海道の帯広から小樽への異動でした。「小樽へ遊びに行ったら、絶対会いに行くからね」と言ってくれた帯広店のお客様がわざわざ遊びに来てくれました。小樽から砂川へ転勤した際にも、小樽店のお客様が「仕事のついでだから(笑)」と会いに来てくれたのです。この業界で働き始めてから、私が学生時代に抱いていた「パチンコ店にいるお客さん」のイメージは180度変わりました。
 私はパチンコ業界がいろいろと誹謗中傷を受けていることが悲しいです。私が考えるパチンコ屋とは「憩いの場」です。昔の私と同じ様にパチンコ店に対して偏見持っている人が多いからでしょう。確かにお金は一定にかかりますが、ゲームセンターでも一日遊べば一~二万円なんて平気でなくなります。服を買いに行っても、ディズニーランドなどのレジャースポットへ行っても、万単位のお金がかかります。それが1円パチンコなら、その数分の一で遊べることも多いのです。さらに、近隣住民とのコミュニケーションが希薄と言われるこのご時世、「あのパチンコ屋さんに行けば、仲の良い常連がたくさんいて、尚且つパチンコも楽しめる」、そんなワクワクをお客様に提供することができているのです。

 最近読んだディズニーランドの本で、ディズニーランドのホスピタリティーとは「全てのお客様へハピネスを提供する」ことだとありました。これは私が考える、目指すパチンコ店のホスピタリティーと同じです。ただ、パチンコ店には「勝つお客様」と「負けるお客様」の二種類のお客様がいる為、負けてしまったお客様へハピネスを提供することは困難です。ですが、そんな負けてしまったお客様の心を接客でフォローすることができる従業員がたくさんいます。
 全ての従業員が「お客様へ心を込めたおもてなしをすることは極自然なこと」と考えて働くことができれば、お客様ともっと深い信頼関係を築けるのではないかと私は考えています。そういうお店を作り上げ、お客様とより密接な心のつながりを築き、「いつもそこにある憩いの場」を作ることが私の夢です。

−終わり−

 現在23歳でパチンコ・パチスロ歴5年である。そう、つまり法律上パチンコの遊技を許されてから私は今日までパチンコ・パチスロを愛し、愛されてきた。そんな自称日本一パチンコ・パチスロを楽しんでいる私が考える、パチンコ・パチスロの遊び方を紹介したい。
 まずは店舗に行くまでの心構えだ。人によっては「予定まで時間があるのでパチンコに行こう」だとか「今日は休みだが一日予定もないので、パチンコにでも行くか」と考え、パチンコ店に行く方も多いだろう。それを悪いというつもりはない。だが、私は違う。私は遅くても前日までには「明日はパチンコに行く」という気持ちを高めて眠りにつく。試合前のアスリートがモチベーションを高める、それと一緒だ。

 私にとってのパチンコとはそういうものなのだ。真剣に向き合っているという姿勢が大切なのだ。この気持ちを持って当日を迎え、朝目覚めたときからワクワクが止まらない状態で開店に備えて欲しい。時間潰しで行うパチンコも、もちろんありだが、パチンコをより一層楽しみたいのなら、前日からパチンコ店に入るまで、このような心構えで挑んで欲しい。
 次にパチンコ店に入店してからの台選びについて話すが、結論から言う。
 「好きな台を打つべし」
 これに限る。パチンコ・パチスロというものは、多くの人からギャンブルだと敬遠されがちだが、私はギャンブルとは思っていない。あくまで娯楽なのだ。私は景品を勝ち取るためではなく、パチンコ・パチスロを「楽しみ」に行くのだ。もちろん景品を勝ち取る為に台選びをするのも、間違いではない。どうせやるなら勝ちたいと思うのは当たり前のことだ。だからといって勝利至上主義では、本来のパチンコ・パチスロの楽しさは半減してしまうのではないかと私は危惧している。ここで私の考える、パチンコ・パチスロを楽しむための方程式を紹介する。

・勝つ為にあまり好きではない台を打つ+結果は勝利=勝ったことのみ嬉しい。
・勝つ為にあまり好きではない台を打つ+結果は敗北=負けて悔しいし、楽しめなかった。
・自分の好きな台を打った+結果は勝利=勝てたことも嬉しいし、演出も楽しめて最高!
・自分の好きな台を打った+結果は敗北=負けたのは悔しいが、演出は楽しめた!
 個人の見解にかなり影響され、方程式として成り立っていないのは重々承知だが、私は楽しむということが最も大切だと皆様に訴える。台選びに迷った時には、この方程式を頭に浮かべて頂けたら光栄だ。自分の好きな台を迷わず打ち楽しむ。勝ち負けを考えるのはその後でいいのだ。
 次に遊技中の行動だが、いくら楽しいからといっても必死になりすぎるのは良くない。遊技台というのは面白いもので、ムキになればなるほど振り向いてくれないものなのだ。投資金額がかさんでムキになり、なんとか取り返そうとするが結局負債を増やして終わる……追いかければ追いかけるほど、あざ笑うかのように更に離れていく。そう、パチンコとはまるで女性のようなものだと私は考えた。女性を振り向かせるのに、必死過ぎは良くない。ある程度の心の余裕が必要だ。

 またお金に余裕がないのもNG。お金のない中で見栄を張り、女性に高価なディナーをご馳走しても見透かされているのと同じで、パチンコ台も無理をして投資し振り向かせようとしてはいけない。心と財布に余裕のある方になって欲しい。「パチンカーたるもの紳士たれ」である。
 そのほかの遊技方法については個人のプレーに任せる。チャンスボタンを押すのもよし。押さず、じっと凝視するのもよし。ここで注意なのが遊技台は女性と同じで、乱暴な男には決して振り向いてはくれないので、くれぐれも台をたたいたり、必要以上に強くボタンを押したりしないように。
 さて、長々と私の遊技の勧めを押し付けてきたが、結果的に何を言いたいのかというと、パチンコ・スロットはギャンブルではなく娯楽だということ。もちろん勝ち負けがあるから一喜一憂できるというのは事実だが、それをギャンブルという言葉で片付けられるのは納得いかない。

 パチンコ・スロットに悪いイメージを持つ方もいると聞く。しかしそれは先程述べた、「ムキ」になってしまった一部の遊技者が与えたイメージであって、遊び方さえ間違えなければ、どんな方にも気軽に足を運んでいただける娯楽施設は、世界中を探しても他にないと思う。
 たくさんのお客様に派手なギミックに驚き、光と音の演出に驚き、楽しんでいただく……それこそがパチンコ・パチスロの真髄である。そのあとに勝ち負けが付いてくるのであって、それはさほど問題ではない。ムキにならずに楽しむことが何よりも大切だということを忘れないで欲しい。
 最後になったが、今回紹介した私の遊び方を真似したが負けて楽しくなかったという苦情は受け付けないので了承してほしい。楽しめるか楽しめないかはあなたの気持ち次第だ。
 それでは、よいパチンコ・パチスロライフを。

−終わり−

 私がパチンコ・パチスロに思うこと、それは業界として「誇れる」ものになって欲しいということです。大学を卒業後、新卒の正社員として今の会社にお世話になっていますが、もうすぐ入社から8年目を迎えます。年齢と経験を重ねていくにつれ、大型連休など、地元の友人や知り合いとお酒を酌み交わすことが多くなり、その度に仕事の話や昔話に華を咲かせています。
 その中で必ずと言っていい程、聞かれる言葉があります。それは「お前の仕事って主に何をやっているの?」と。挙句の果てに、親類からも説明を求められることもあります。

 説明するのを苦に感じたことはありませんが、よくよく思い返してみると、自分も入社前はよくパチンコ店に遊びに行っていたので、ある程度目に見える部分の仕事は分かっていたつもりでしたが、入社してからはこんな事をしていたのかと、目から鱗が落ちる思いだったのを覚えています。たしかに携わったことの無い人からしてみれば、何をやっているのか? という疑問は至極当然のように思います。
世の中には様々な業種がありますが、最近では仕事の中身をメディアが報じるなど、見える部分が増えつつあり、大半が自分で携わっていなくても、大体イメージできるのではないでしょうか。製品に力を入れている企業、ヒトを売りにしている企業、ブランドを大切にしている企業など、誰でもそれぞれ何かしらのイメージは持っていると思います。

パチンコ店=パチンコ台・スロット台を置いている場所
パチンコ店店員=清掃・箱下げなどをしている

 友人や知り合いに聞いてみると、どうやら大体こういうイメージを持っています。間違ってはいませんが、それだけではないのです。もちろん来店されているお客様に少しでも快適に楽しんで頂くために、営業中のホール内を清潔に保つ、お客様とふれあいを通じてコミュニケーションを図る、挙げればキリがありませんが、どれも大切な事です。

 しかし、見える部分以外にも、そこに至るまで様々な仕事があるわけで、人財育成、営業、財務、総務、様々な仕事を日々行っております。どこにでもある会社経営と変わらないのです。中でも、ヒトの部分に関しては、経営理念を具現化すべく「ホスピタリティーとは」という部分を全スタッフで理解をし、実践していくことに力を注いでいます。
 私達は機械を売っているわけではなく、ヒトを介してお客様にほっとするような、心温まる感動を提供しています。その為に、いろいろな感性を磨いたり、皆で議論したりと、常に高みを目指し、切磋琢磨し、終わりないゴールを目指しています。
 業界全体を見ても、設置産業といわれていた数十年前から時代は変わり、今やホスピタリティー産業に移り変わっています。ホール企業だけでなく、遊技機メーカーやそれに関わる全ての会社が、遊技するお客様の顔を思い浮かべながら製品を作ったり、ヒトを育てたりしていると私は感じています。

パチンコ店=ちょっとした感動を味わえる場所
パチンコ店店員=最高のおもてなしを考え創り出す

 こういうイメージを業界全体で、今まで以上に浸透させていく中で、遊技するお客様はもちろんですが、遊技しない方への良いイメージの浸透も、これからはとても大事なのではないかと感じています。
 業界全体から見れば小さな存在の私ですが、今後の業界の未来をより良いものにしていく為、同じ目標を持つ同僚や上司、後輩という仲間達と共に、少しずつできる事を増やしていきたいと思います。そして、友人や知り合いからも一目置かれるような業界にしていきたいと思います。

−終わり−

 私の今の仕事はパチンコ店でサービス業をしています。
 入社して、早4年が経とうとしていますが、高卒で入社した私は、もちろんパチンコをしたこともなければ興味もありませんでしたし、悪い印象しかありませんでした。
 入社後ホールの中でも、やはりタバコ臭いし音はうるさいし、こんな中で私は働いていけるのか不安ばかりでした。でも働くからには、パチンコのことをよく知らなければいけないという思いがありました。そう思ったのは、一人の先輩の言葉でした。
 「ハンバーガー屋さんで、『このハンバーガーの中身はなんですか?』と聞かれて答えられない店員はいるだろうか。答えられるのが普通だとお客さんは思うよね。パチンコ店も一緒。『この台はどうやって遊ぶの?』と聞かれてすぐ答えられないと、従業員として働いてはいけない」

 その言葉に、グサっときましたが、例えが分かりやすく、なるほど! と説得力がありました。
 そして休みの日に、会社の先輩と『勉強のため』に1円パチンコではありますが、通っていました。しかし、その『勉強のため』のパチンコ通いが、いつの間にか自分の趣味に変わっていました。趣味に変わった瞬間は覚えていません。強いて言えば、初打ちで勝ったのが嬉しかったのでしょう。パチンコって楽しい、勝ちたい、時間を忘れてすごく夢中になれるものなんだ、と思いました。
 パチンコを始めて4年ですが、トータルすれば負けているほうがはるかに多いです。でも、負けて悔しい思いをするからリベンジしたい! たまに勝つから、また勝つかも、とお客様はそんな思いがあるのだと、お客様視点に立つことも出来ました。パチンコの楽しさ、面白さが分かると、仕事中にお客様とのコミュニケーションが増え、仕事の楽しさも感じる様になりました。
 私の仕事はいわゆる「転勤族」で、県外にも店舗がある会社です。今の店舗に来る前は県外の店に勤めていました。その県外の店舗の前は今の店の隣だったので、今の店舗の常連様は見たことのあるお客様が多いです。

 たくさんの常連様がいる中、私を慕ってくださっているおじいちゃんがいます。そのおじいちゃんとは、隣の店の時からの仲良しです。いつも真顔なのですが、話しかけて来る時はニコニコしていて、遠くで私を見つけたら大きく手を振ってくださいます。駐車券やタバコを渡しただけで「ありがとう」と言ってくださいます。
 毎日だいたい同じ時間に来られますが、ある日の夜、閉店間際になってもそのおじいちゃんは来ませんでした。今日は違うパチンコ店に行ったのかなと思っていると、突然現れました。「今日は、来ないかと思いましたよー」と声を掛けると、やはり違うパチンコ店に行っていたとのこと。閉店間際ですけど、遊んで行ってくださいよと伝えると、「今日は、みっちゃん(私)に会いに来ただけやけん、もう帰るねー」と言って帰っていきました。パチンコを打たずに私に会いに来てくれたと思うと、とても嬉しく感じました。 

 パチンコをする人はだいたいの人が遊技台とのにらめっこ。でも、このおじいちゃんの様にパチンコ店でしか会えないお友達、店員さんに会うのが楽しみという人もいるのではないでしょうか。現に私も行きつけのパチンコ店では店員さんに顔を覚えられ、目が合うとニコっとしてくださいます。それだけで嬉しいことです。
 お客様あっての私たちの仕事、感謝の気持ちを持って日々仕事に励んでいますが、お客様からの「ありがとう」の言葉が一番嬉しいです。なかなか言われることはありませんが、言われた時は、もっとたくさんのお客様に「ありがとう」を言って頂けるよう、私たちの感謝の気持ちを届けたいと思います。

−終わり−

絵手紙の部

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松井美晴様

浦田芳子様

沖優子様

佳作

れっち様(ペンネーム)
高木政史様
居村倫也様
堀江寛子様
岩本しんじ様
谷口正則様
杉浦小百合様
上田友博様
早熊やすの様
櫛山祐己乃様(ペンネーム)