「記念のペアウォッチ」
秋田県横手市 無職 小西保明さん(67)
私が定年で退職したのは今から六年前である。翌年やっと二人の念願であった京都・奈良への観光旅行を済ませ、その帰りだった。妻は秋田へ戻る前、東京に住んでいる親友に会っていきたいと言う。私たちは急きょ日程を変更し、東京での一泊を付け加えた。
朝に京都を出て新幹線に乗り東京に着いたのが昼過ぎ、その日宿泊するホテルに荷物を頼むと、 「ホテルの近くにパチンコ店があったわ。あなた、そこで時間でもつぶしていたら。私も夕食までには帰るから」そう言うと妻はうきうきと出かけて行った。
私はそれまでパチンコをやったことがなかったわけではない。しかし、それは出張先での時間つぶしであったり、飲んだ後の酔い覚ましのためであったり。パチンコの楽しさを深く感じたことはなかった。
だが、その日は違っていた。胸のときめきは喜びに変わり、終いには体が宙に浮いているような興奮に見舞われたのである。
私は店に入ると、いろいろな魚が横に流れていく美しい画面の前に座った。その機械を選んだことに特別な理由があったわけではない。その一角に人が多く、活気に満ちているような気がしたからである。
しかし、機械のことはよく判らない。横に下がっている説明のカードを見たが、書かれている字が小さくて老眼の始まっている私にはよく読めなかった。
初めの頃はきれいな魚が泳いでいくのを見ているだけで楽しかった。そうしているうちに、上と下にカニが止まったと思ったら、プランクトンみたいな色の付いた一団がやって来て左側に消えていった。
すると、隣に座っていた女の人がすうっと息を飲んで私の画面を見つめた。私にも何かが起こったらしいということが判った。それが魚群というもので、幸運を呼ぶサインであることを知ったのはもっと後になってからである。
私の注意深く見つめる視線の先でカニが縦に三匹並んだ。奇妙な電子音が鳴り、次々と玉が出始めた。
またたく間に台に置かれた箱が玉でいっぱいになった。一渡り落ち着くと画面の色が変わり、魚の泳ぎも速くなった。
しばらくして今度はタコが斜めに並んだ。玉が出始める。箱にはもう入らない。どうしようかと思っていたら、隣の人が頭の上の赤いボタンを押してくれた。係りの人が駆けつけてくると箱を取り替えてくれる。私は胸がどきどきした。
私は驚いた。その時は本当に驚いた。なんとそんなことが六回も続いたのだ。
私の後ろには玉のいっぱい入った箱が五つも積まれていたのだ。
「すごいわね」
と隣の人が言う。私も本当にびっくりした? もう止めようかな、と思ったがホテルに帰っても時間を持て余すだけだろう。これだけ玉があったら夕方まではゆっくり遊べるはずだ。もう少し楽しんでいこう。そう決めるとまた続けた。
しばらくして気がついたら外が暗くなっている。その時足元には実に九個の箱が積み上げられていたの。
後ろを通る人が立ち止まって箱を数えていくような気がする。私も落ち着かなくなった。
そろそろ妻も帰っているだろう。私はホテルに戻ることにした。
係りの人から計算の終わったカードを貰う。
「おめでとうございます」
と言われて心が弾んだ。カウンターで景品を眺めて迷ったが、ペアの素敵な時計が目に留まった。
──そうだ、これを退職旅行記念にしよう──
妻の驚く顔が浮かんだ。ホテルに向かって歩きながら、こんなに興奮したのは何年ぶりだろう、と思った。
ホテルに帰ってからも落ち着かない。わくわくしながら夕食の時を迎えた。
乾杯の前にさっきの時計を取り出す。妻は怪訝な顔でそれを見る。
「退職旅行の記念だ」
私は張り切って告げた。
「まあ! だってこれ高いんでしょ、スイス製じゃない」
妻は食い入るように時計を見ながら言った。
「お前にもずいぶん苦労をかけた。そう思えばやすいもんさ」
妻の驚く顔を見ながら私は得意になって言った。妻はまだ信じられないようにじっと私を見る。
私はついに事の次第を話したのである。
それから四年が経った。
あの喜びをもう一度、と旅行から帰ると時々近くのパチンコ店に通うようになった。
そこでいろいろなことに気がついたのである。
1.旅行中に巡り合った幸運がそんなに多くはないこと
2.毎日のように通っていれば退職金もだんだん減っていくこと
3.だが、趣味のない自分にとってパチンコはかけがえのない充実した楽しい時間であること
私と妻は二人ともワインが大好きで晩酌のワインは欠かすことが出来なかったが、旅行以来そのワインは私のパチンコの景品によってまかなわれるようになった。だから時には高級なワインも飲めるのだ。
そこで私たちは次のような約束をした。
1.パチンコを年金で出来る範囲にすること(幸い共働きだったので、年金にはいくらか余裕があった)
2.決められた額を使い切ったら次の年金までがまんすること
がまんするのが辛いこともあるが、来月はどんなことが起こるか期待しながら待つのもまた楽しい。
今はこの約束にも慣れ、私たちの第二の人生にとってパチンコは無くてはならないものになっている。