MENU

その2 社会との共生目指す都遊協の活動

社会貢献とは何だろうか── 一見、単純にも思えるこの問いは、考えるほどに奥が深いことに気付かされる。これまでに、チャリティーやボランティアに積極的に関わり、幾度となくその言葉を反芻してきた人でさえ、即答するのは難しいかもしれない── お金だけ出す社会貢献から、自らも汗を流し、社会と共に生きる姿勢を強調して、パチンコ産業の新しい社会貢献の在り方を模索する都遊協青年部の活動を中心にリポートする。

目次

都遊協が目指す、顔の見える貢献

都遊協では50歳以下の組合員で構成される青年部会を中心に、社会貢献に取り組んできた。パチンコ台を搭載し、福祉施設や養護施設を慰問に回った「ドルフィン・シップ号」をはじめ、これまでに数々の先駆的な試みを続けてきたが、いわば、現在の活動の流れを方向付けたのが、平成9年1月、福井県沖で座礁した重油タンカー・ナホトカ号の原油流出事故への義援隊の派遣だった。

上海からペトロパブロフスクに向けて航行中のロシア船籍のタンカー、ナホトカ号は、大しけの日本海で破断事故を起こして水深約2500?に沈没、その積み荷の重油約6240?・?が海上に流出した。流出した重油は福井県をはじめ、日本海沿岸の9府県に漂着し、水産資源や自然環境に大きな影響を及ぼした。油まみれの水鳥を映し出したニュース映像をご記憶の方も少なくないだろう。当時、青年部会の代表世話人を務めていた小島豊氏(現日遊協理事)が、義援隊派遣の背景を話す。

「パチンコ業界は巨大産業の一つに数えられています。そういう環境にあって、自分たちさえ儲かればいい、などといった狭い考えでは今後の繁栄は望めません。いかに地域社会の理解と信頼を得るかは大変、重要な課題で、そのために平成元年頃から暴力団排除の活動を積極的に進めるなどしてきました。社会貢献は、その流れの一つとして地域住民との共生を図るのに重要なものと認識するようになったんです」

もっとも、それまでにも社会貢献は行ってきたが、それは寄付金を贈って終わり、という活動が主体だった。しかも、その後の使途は不透明で、その寄付が本当に世の役に立っているのかということさえ分からないというのが現実だった。そんな状況では、社会貢献が、いわば免罪符、言い方を換えれば浄財としての意味しか持たないと批判されても仕方ない。そんな状況に異を唱えたのが小島氏だった。

「お金を出して、なおかつ顔を見せる。そして汗を流す。それで初めて真の社会貢献といえるのではないでしょうか」(小島氏)

都遊協ではその年の新年理事会で福井県三国町に重油除去のボランティア派遣を決定。小島氏をはじめ、青年部の有志26人で編成され、「義援隊」と命名された。

重油回収用麻袋6000袋、ゴム手袋6000双、軍手6000双、使い捨てカイロ6000個といった物資を寄付し、2月13日に現地入りした一行は、ひとまず宿に到着。北陸三県の組合から贈られた越前ガニが夕食のお膳に並び、元気付けられはしたものの、窓の外にちらつく雪が、翌日に控えた作業の困難さを物語っていた。

厚着で着膨れした一行が海岸に着いたころには、しかし、すでに学生をはじめとした数千人にも及ぶボランティアが作業を開始していた。

「こんなに大勢の人が駆けつけているとは――と、びっくりしました。日本もまだまだ捨てたもんじゃないな、と。寒さに萎えかかっていた気持ちも、奮い立ちましたね。しまいにはランニング一枚になるほど作業に没頭していましたよ」
 と話すのは、義援隊の一人として現地に赴いた、都遊協の現副理事長・古菅君夫氏。

そこでの作業は、砂浜にまみれた重油をスコップで掘り起こし、ふるいに掛けて取り除く、という単純作業の繰り返し。だが、慣れない一行は、なかなか重油を見付けられず、多大な成果は上げられなかった。

翌日は場所を変えて、石に覆われた海岸で作業。重油で黒光りする石を拾い、竹べらで取り除いては海に向かって放り投げるという作業に、メンバー全員が額に汗した。この海岸では、マスクなしではフラフラになってしまうほどに重油の匂いがきつく、体調を崩してしまう隊員も出たほどだ。9時から15時まで、めいっぱい働いた。もちろん、全体から見れば、ほんの一部に過ぎないかもしれない。だが、あらん限りの力を振り絞り、除去作業に身を挺した。そして、確実な成果が、そこにはあった。現在、青年部会部会長を務める亀田宏司氏は強調する。

「ボランティア活動の現場に参加するのは、この時が初めてでした。冬の日本海と聞いて、正直、初めは遠慮したいという気持ちもありましたが、この体験は私の人生の上でも本当に貴重な経験でした。一人ひとりの力は小さくても、それが積もれば大きなことができる、いわば社会貢献の原点のような思いをしみじみと実感しました」

その思いはメンバー全員が共有するところだった。その活動は新聞にも取り上げられ、業界内でも大いに話題を呼んだ。

「社会貢献といえば都遊協、そんな現在のイメージは、このナホトカ号で決定付けられました。これを機に、都遊協の社会貢献活動は、ますます勢いを増すことになりました」(古菅氏)

カンボジアの地雷撤去運動に参加

同じ年の秋に、業界各方面に呼びかけて1300万円もの寄付金を募り、カンボジアに地雷除去用のトラクターを寄贈したことも、都遊協の歩みを語るうえでは大きな足跡といえよう。このときも小島氏をはじめ、3人の青年部会員が現地に赴き、トラクターの稼働状況を視察している。

そもそも、都遊協では、平成8年に「難民を助ける会(AAR)」発行のチャリティー絵本『地雷ではなく花を下さい』の購入をきっかけに、地雷撤去運動に対して強い関心を抱いており、対人地雷廃絶をテーマに掲げた「長野オリンピック・チャリティーウオーク」にも青年部会員をはじめ、22人が参加し、その廃絶を世に働きかけてきた。

さらに、AARがアフリカで実施した井戸掘り事業にも参加し、約60本の井戸を掘ったり、カンボジアやクロアチアなどの難民に生活用品や文房具入りのポシェットを贈る「愛のポシェット運動」にも精力的に取り組んできた実績を持つ。

「ホールを娯楽の発信基地から良心の発信基地へとの一人ひとりの熱い思い、それが活動の原動力になっていますが、やはり個人の力には限界もあります。ですから、活動内容を外にアピールするのと同時に組織内に周知することが大切になります。緩やかな理解でも、縦糸と横糸によって紡がれる活動が、大きな結果をもたらすものと実感しています」(小島氏)

業界初の試み・ピボット基金

こうした活動を続けながらも、より本質的、かつ実効的な社会貢献を模索する都遊協の努力は続いた。平成10年から11年の2年間、月1回の青年部会の幹事会では、毎回、ボランティア団体から講師を招き、「社会貢献とは何か」の討議を重ねた。当時の様子を古菅氏は、こう振り返る。

「我々パチンコ業界の社会貢献は、どのような形で表せば最大の効力を発揮できるのか。それを模索し、メンバー間で共有するためのものでした」

そうした自問自答の中で、平成12年に生まれたのがピボット基金である。これは、チャリティーゴルフコンペの収益を、おもに青少年育成を担うボランティア団体に寄付するという基金。それまでの寄付金と大きく異なるのは、寄付金の集まりにくい無名の団体を対象とし、一団体あたりの寄付金額の上限を30万円に設定することで、年間、5~6団体に贈呈している点だ。寄贈先は公募し、書類審査やプレゼンテーションを通して選抜している。

「それまでの寄付金といえば、大きな施設に多額の寄付を贈るのが一般的でした。しかし、小さな施設や団体にも社会的に大きな役割を果たしているところは多くありますし、むしろ、そうしたところほど、少額の寄付金でも有意義に活用してくれるのではないか。そんな考えが根底にあります。さらに、寄付金の使い道が明確な点もポイントです」(古菅氏)

すでに4回の贈呈を実施済みで、これまでに「子どもの虐待防止センター」「全国ひきこもりKHJ親の会東東京」「NPO法人非行克服支援センター」をはじめ、21団体に寄付金が渡っている。その認知度は年を追うごとに高まり、平成15年度は50団体以上の応募を受けている。

さらに、業界の中で、早急な対処が求められている問題に、「依存症問題」がある。都遊協では、これにも素早い対応を見せている。平成15年度には、 500万円を投じて産学共同研究をスタート、今年度から、インターネットを介して依存症に関する正しい知識を普及させるプログラムを立ち上げる予定だ。

「依存症は『否認の病』ともいわれます。その克服のためには、本人に依存症であることを自覚させなくては始まりません。情報提供プログラムは、そのための第一弾で、今後、段階を追って、より実効性の高い対策を提示していくつもりです」(古菅氏)

タイムリーな問題に取り組む姿勢は、三宅島避難者の雇用促進のために、環境美化の作業員などを受け入れている試みにも見られる。むろん、こうした活動に対する反響は大きい。

試行錯誤が資金不足をカバーする

数々の社会貢献に取り組む都遊協だが、その予算は、どのように捻出しているのか。「全日遊連、そして都遊協の年二回のファン感謝デーがおもな財源で、毎年、800万円から900万円の予算を計上しています。そのほか、チャリティーコンペの開催や、個別の募金を募ったりすることもあります」(古菅氏)

都遊協は傘下に1400店近くのホールを抱える大所帯ではあるが、AMマークによる収入がないこともあって、他道府県に比べて、決して経済面で豊かであるとは言えない。そうした事情もあり、社会貢献に費やす費用も突出して大きな額ではなく、いわば平均的だ。その活動の充実ぶりを考え合わせると、いささか不釣り合いな印象も受ける。だが、金額の大きさ、イコール活動の充実には繋がらないと、前出の亀田氏は話す。

「たしかに予算は多いに越したことはありませんが、上を見れば切りがありません。ましてや、この不況下、予算の増額が見込めないのは明らかです。与えられた予算の中で何ができるのか、お金が足りない分をどのような活動でカバーできるのか。それを試行錯誤することは、真に有意義な活動を生み出す過程には必要不可欠なのではないかと思います」

昨年度の都遊協の活動の一つに、チャリティーカレンダーの発行がある。人気漫画家のさかもと未明さんのイラストをあしらった卓上カレンダーで、都遊協では、これを6万5000部刷って、組合に向けて一部220円で販売。各組合からホールに渡り、さらに一般ファンに配布された。その製作の実費は165円で、利益の55円は、すべて社会貢献協賛金として、知的発達障害のある人の競技会である「スペシャルオリンピックス日本」に寄付された。

実は、このカレンダーには、ちょっとした工夫が施されている。カレンダーの台紙の裏に、都遊協が、東京都が主催する「親子の絆コンサート」事業に単独協賛し、支援している旨をはじめ、その貢献活動の全容が記入されているのだ。つまり、広報活動も兼ねているのである。

さらに、亀田氏は、こう付け加える。
「来年、長野県でスペシャルオリンピックスの世界大会が開催されます。まだまだ個人的な構想ではありますが、募金をいいきっかけとして、開催時に現地を訪れて何か支援ができればと考えています」

多角的な視点で捉えることで、一つの活動に社会的な広がりを持たせる。その好例である。

業界イメージの改善を目指して

あくまでも副次的な側面とは捉えつつも、社会貢献を通しての業界イメージの向上は、都遊協の会員すべてに通じる願いである。いや、都遊協ならずとも、今もって後ろ暗いイメージを払拭し切れないパチンコ業界にあって、それは業界一丸となって取り組むべきテーマといえるのかもしれない。

その点、いかに効率的な広報活動を展開するかということは、都遊協でも今後の課題として掲げられている。都遊協とも深い関わりを持つ「島田療育センター」の支援組織「島田療育センターを守る会」の世話人代表を務める稲葉憲司氏は、こう語る。

「より多くの人の共感を得ることは、活動自体の充実化にも、業界イメージの向上にも、どちらにも寄与すると思います。しかし、その方策に関しては、まだまだ不十分なのが現状。テレビCMをはじめとした広報活動や、マスコミとの交流なども視野に入れ、具体的な対策を検討する段階に来ているのではないでしょうか」

もっとも、良好なイメージというものは、構築するには時間を要し、崩すのは一瞬というのが世の常だ。一朝一夕にはいかない現実が、そこにはある。それだけに、効果的な対策を練り上げ、それを継続的に展開することが不可欠だろう。そうした思いは、次世代を担う若い世代も共有している。都遊協青年部の副部会長を務める秦政雄氏が話す。

「現場に足を運んで、顔の見える支援をするという青年部会の理念は、組織の中に堅固に根付いています。それを我々も実践し、さらに次世代にも伝えていけたらと思っています」

これまでの都遊協の歩みは、言ってみれば、まだ始まったばかりなのかもしれない。だが、それが大きな一歩であることは、誰の目にも明らかである。

目次
閉じる