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その3 業界として、産業としての社会貢献

 企業の社会的責任(CSR)を問う声が日増しに強くなっている。そうした流れに、各企業単独では、もはや対応は不十分ということで、業界単位で社会貢献活動を集約、リードする一方、各種の情報提供など戦略的なPR活動にも乗り出す業界団体が、増えてきた。

前回では、金を出すだけではなく、企業人も一社会人として共に汗を流すことで社会との共生を図ろうという、遊技業界の新しい社会貢献の動きを紹介したが、新たな時代の流れを受け、業界として、産業として、社会貢献をどう考えていったらいいのか。自ら社会貢献に乗り出す業界団体の新たな動きを追った──。

目次

業界団体として取り組む社会貢献が増加

「このところ企業の間では、社会的責任、いわゆるCSR(Corporate Social Responsibility)を重視する流れが、非常に強まっています。利潤を追求するだけではなく、法律の遵守はもちろん、環境問題をはじめ、社会問題にも積極的に取り組もうとする企業が、目立つようになりましたね」

 社会貢献のコンサルティングなどを行う社団法人・日本フィランソロピー協会の高橋陽子理事長は、こう語る。

 企業単独ではなく、より効果の高い社会貢献をと、業界一丸となって取り組むケースも増えてきている。業界としてかかえる固有の問題も大きくなり、単独の企業では、どうにもならない状況も生まれてきたからだ。

’80年代の貿易摩擦を契機に
欧米企業の例を参考に“1%クラブ”運動

 例えば、日本経済団体連合会(以下、経団連)の取り組む「1%(ワンパーセント)クラブ」の運動である。

 1%クラブとは、その名の通り経常利益の1%以上、個人であれば可処分所得の1%以上を社会貢献に役立てようとする取り組みだ。平成2年の発足以来、寄付対象となる団体や、会員の社会貢献事例といった情報を発信したり、会員同士のコミュニケーションの場を設けたり、さらには社会貢献についての講座開設、コンサルティングを行うなど、会員の社会貢献を多角的に支援している。

 現在の会員数は、法人会員269社、個人会員1089人を数える。

 経団連社会本部の長沢恵美子氏が、その設立の背景を語る。
「80年代後半、投資摩擦が生じて日本企業にも積極的な社会貢献が要求されるなど、複合的な要因で社会貢献に対する意識が芽生え始めていました。ちょうどそのころ、海外視察を通して欧米に1%クラブや3%クラブといった、いわゆるパーセントクラブが根付いていることを学び、経団連でも’89年に個人、その翌年には企業も対象として1%クラブをスタートすることになりました」

 個々の企業をバックアップすると同時に、会員同士の情報交換の場なども設けている。

「しっかりとしたビジョンを持ち、専門的な知識や技術に長けたNPO団体でも、資金をはじめ、ハード面の弱さに悩んでいるところは少なくありません。逆に、企業単独では、本業以外の分野で専門性を発揮するのは困難です。その点、企業のハード面、そしてNPOのソフト面が上手に結び付けば、社会貢献においては最良のパートナーになり得ます」(長沢氏)

 その場合、NPOへの資金援助という形をとることが多いが、お互いの特性を生かして協働するケースもある。

 たとえば、「上越タイムス」では、毎週月曜日、2ページの紙面を、特定非営利活動団体「くびき野NPOサポートセンター」に提供し、その記事作成を任せている。

 くびき野NPOサポートセンターは、新潟県・頸城野地域の22市町村で、地域づくりや福祉活動を推進するNPO団体や個人によって組織されている団体。提供された紙面を利用して、一般市民に対して、NPOの活動や意義、近況をアピール。記者がNPOを紹介する記事は多々あるが、多くの人の目に触れる新聞紙上で、NPO側の視点による記事が継続的に掲載されるケースは珍しい。その試みは読者にも好評で、上越タイムスでは、この成功を機に、環境問題に取り組む小学生にも紙面を開放するなど、その活動の範囲を広げている。

多発する企業の不祥事、経済悪化
より以上の地域との結び付きを求めて

 全国信用金庫協会では、地域社会との共存共栄を目指して社会貢献に取り組む。信用金庫の顧客は、地域の中小企業や個人がメイン。直接的に金銭を取り扱うという業務の性質上、顧客との間に築く信頼関係は、いわば生命線だ。それだけに、各信用金庫では古くから交通整理や清掃作業などを通して、地元住民との接点を築いてきた。そうした活動は、個々の信用金庫で、行われてきたが、平成に入ったころから、その状況が少し変わってきた。

「企業不祥事が多発し、企業モラルが声高に問われるようになったことに加え、経済状況の悪化も重なって、地域社会との結び付きが、それまで以上に求められるようになりました。それにつれて、より前向きな社会貢献や広報活動を通じ、業界としてのイメージ向上に努める必要性が高まってきたんです」

 と全国信用金庫協会の広報担当者は言う。

 それぞれの信用金庫が、独自の社会貢献に取り組んでいる状況下で、業界として何ができるのか。そう考えた末に、平成9年に創設されたのが「信用金庫社会貢献賞」だった。

「全国の信用金庫から、基本的に3年以上継続された社会貢献の事例を募集し、とくに地域との一体性のあるものや、ユニークな取り組みなどに賞を贈呈することにしました。それまでは、業界として、個々の信用金庫の社会貢献は把握していませんでしたが、いざ始めてみると、こんなにも活発だったのかと驚かされるほど応募が相次ぎました」

個々の活動を束ねて業界単位の大きな流れに

  個々の活動は、それぞれに個性的だ。たとえば、2003年に「奨励賞」を受賞した埼玉県縣信用金庫が取り組んでいるのが「介護者リフレッシュ旅行」。これは、日ごろ、介護に追われて自分の時間が持てないという介護者を対象に、年4~5回、毎回40人前後を1泊の温泉旅行に招待するという試み。被介護者ではなく、介護者を支援する視点が斬新だ。

 また、同年に「個人賞」を受賞したのが、大分みらい信用金庫の高松右門理事長。

多忙な業務の合間を縫って、30年以上もの長きにわたって、少年少女に剣道を指導してきた実績が評価された。

「一つひとつの活動は小さくても、このように全国的な賞として取り上げることで、業界全体の動きとしてアピールできるようになりました。さらに、各信用金庫の社会貢献への意識を高め、業界内の活動を底上げする結果にもなりましたね」

 貢献賞の結果は、マスコミにアピールすることも忘れない。結果として、地方紙などにはたびたび取り上げられ、継続的な広報活動に成功している。

’97年のアジア経済危機を機に
アジア支援に乗り出した日本貿易会

「本業」の強味を生かして社会貢献を行っている業界団体も多い。日本貿易会が組織するNPO法人・国際社会貢献センター(ABIC)では、海外の駐在経験が豊富な商社OBなどを募集し、おもに海外における民間レベルの支援や交流を進めている。

 そもそも、ABIC設立の伏線となったのは、’97年、タイのバーツ暴落を引き金に始まったアジア経済危機。このとき、政府によるアジア支援の一環として、商社のOBを各国政府のコンサルティングに送りたいとの打診を受けたのだ。ABICの野津浩事務局長が、その設立の背景を語る。

「OBたちが永年培った知識やスキルが、かけがえのない財産であることを実感したできごとでした。それを生かして業界イメージの向上に向けた社会貢献の展開を考え、アジア経済危機の翌年からNPO立ち上げの論議が進められました」

 当初は、業界自らがNPO活動を行うリスクなどを理由に反対する声も少なくなかった。が、最終的には、日本貿易会の内部組織として、平成12年に発足、その翌年にNPO法人化された。

 現在、ABICの登録者は、約1400人。そのうちの約9割が海外駐在経験者、英語以外の言語を操る人も半数近くに及び、専門性をフルに生かした活動を展開している。一例ではあるが、地雷除去NGO「人道目的の地雷除去支援の会」(JAHDS)では、ABICの会員が、タイ現地事務所のマネージャーとして採用され、タイ・カンボジア国境地帯の地雷除去に当たっている。また、ベトナムでは、日本の看護学校受験を目指すベトナム人に、ハノイで日本語を指導している会員もいる。

 海外での活動だけではない。海外進出を目指す中小企業を対象に経営戦略や現地情報などをコンサルティングしたり、大学での講座を受け持ったりといった業務もある。いずれも、海外で場数を踏み、専門知識にも長けたスタッフが当たるだけに、タイムリーな情報が得られる。

 こうした活動を通し、対外的に喜ばれている一方で、現役を退いても働き続けたいと願うOBたちの受け皿になってもいる。現場に赴いた多くのOBが「現役時代と同じ充実感を覚えた」と、口をそろえるという。

「会員は社会貢献という意識で現場に携わっていますが、責任も大きいものがあります。そのために、少額ですが有償で作業を請け負ってもらっています。そうした張り合いが、より効果的な活動を生み出すという好循環を生んでいると考えています」(野津氏)

 こうした本業を生かした社会貢献の効果を、先の日本フィランソロピー協会の高橋氏も、こう語る。
「やはり得意分野ですから有意義な活動が展開できますし、する側にとっても“自分たちの活動がこんなに役に立っているんだ”という意識が生まれ、大きな満足感も得られます」

パチンコ業界ならではの社会貢献とは

 遊技産業ではどうだろうか。これまで見てきたように、個々の企業や地域組合による取り組みは非常に活発だ。それも業界ならではの特色を生かした発想が、多くの人に感銘を与えてきた。たとえば、パチンコ台を搭載し、高齢者施設や福祉施設を慰問して回った、都遊協による「ドルフィン・シップ号」。兵庫県遊協では、毎年、神戸市内のホールに社会福祉施設の入所者を招き、出球の数を競うパチンコ競技大会を開催している。今年で18回を数え、恒例行事として、すっかり地域に根付いている。こうした活動は、地域住民を喜ばせるという社会貢献本来の意義に加え、パチンコの楽しさを直接的に伝えられる点においても大きな意味を持つ。

 アミューズメント業界としての企画力を生かし、独自のイベントを開催している例もある。大阪府遊協では、昭和62年から毎年、「未来っ子カーニバル」と銘打ち、クリスマス時期に、親と一緒に過ごすことのできない府下の養護施設や交通災害遺児会の子供1000~1800人を招待し、大規模なイベントを催している。そこには、スポーツ選手や芸能人を招いたり、各種アトラクションや屋台の食事コーナーを設けるなど、年ごとに異なる企画を打ち出している。その多彩さは、まさにアミューズメント業界に携わる者ならではといった観がある。

業界として世間にアピールする必要性

 こうした活動をひとつにまとめ、強く社会にアピールしたらどうかという声は、業界の中にも根強い。平成7、8年頃の“パチンコ・バッシング”を教訓に、「黙っているだけではなく、積極的に情報発信していかなくては」との声もあがっている。

 全日遊連が最近、傘下組合の社会貢献を年に一度集計して公表しているが、それもこれらの声を意識してのことだろう。

 全日遊連の今年の調査によれば、全日遊連、各都道府県遊協、各支部組合、そして各ホールにおける、平成15年の社会貢献の拠出額は13億8637万 9642円であった(44頁参照)。これは、寄付金はもとより、物品や人的支援に要した費用を含む、業界全体の社会貢献の総額である。

業界としてのリーダーシップも重要

 もっとも、統計調査に留まることなく、業界全体の社会貢献を推進するシステムの整備も待たれるところである。パチンコ業界の社会貢献の構造を見ると、積極派、消極派の顕著な二極化が浮かび上がってくる。むろん、消極派に対する社会貢献の強制は困るが、上部組織がリーダーシップを取って、業界全体の意識を高めるなどの地道な努力は必要だろう。そのためには、寄付対象となる団体や業界内での貢献活動の事例といった情報提供、さらには社会貢献に関するコンサルティングなどが有効な手段として考えられる。また、賞やコンテストの創設も、相応の効果を生み出すはずだ。


 業界内の社会貢献の状況を把握し、それを推進する組織は、広報活動の面でも大きな力を発揮する。全国信用金庫協会のように、個々の団体の活動を束ねて業界全体の取り組みとして大々的にアピールすることができれば、業界イメージ向上に大きな効果が上がるのは間違いない。

 遊技産業としての社会貢献は、新たな道を探る段階に来ていると言えそうである。

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