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その9 座談会 社会貢献─明日への課題<前編>

 これまで、パチンコ産業と社会貢献活動をテーマに様々な事例を紹介してきた。今回と次回では、社会貢献に深くかかわってきた日遊協関係者と専門家を交えた、座談会をお送りする。社会貢献の課題とは何か。今回は、とくに出席者の社会貢献に対する姿勢に注目し、これまでの活動内容を振り返りながら、在るべき社会貢献の姿を探った。

目次

「社会貢献というよりも、何か手伝えないか、そんな気持ちが根本にある」
(日野氏)

三上 日遊協では、8回にわたり、パチンコ業界における社会貢献の事例を紹介し、その理想的なあり方を模索してきました。今日は、業界内でも、とりわけ精力的な活動を続ける3名の方々、そして専門家として社団法人日本フィランソロピー協会から高橋陽子理事長をお招きし、パチンコ業界の社会貢献をめぐって活発な議論を進めていきたいと思います。まずは、愛媛県松山市で、知的障害者施設「日野学園」の創立・運営に、親子二代で関わってきた日野さんにとって、いったい、社会貢献とは何なのか。その辺りからお話しいただければと思います。

日野 私の場合、身内に知的障害者がいたということが、活動の原点になっています。もっとも、社会貢献という意識はそれほどのものではなく、むしろ知的障害を抱える私の兄も娘も、周囲の人に助けてもらってきましたから、私も社会に何かお手伝いできないか、そんな気持ちが根本にあります。今後も、こうした活動からは離れられないと思っていますし、自分としても、より積極的に関わっていきたい、という気持ちです。

三上 日野さんは、地元商店街の活動にも積極的に参加していますよね。

日野 そうですね。地域社会に深く関わるようになったのは、26歳のときに日本青年会議所に入ったことがきっかけでした。それまでに、社会貢献の意義や、その必要性を教えられたことはありませんでしたから、日本青年会議所が掲げる「明るく豊かな社会を作り上げよう」という綱領は、とても新鮮に映りましたね。大上段に構えた綱領ですし、完全に実践できていたわけではありませんが、それを聞いた時は、そういう考え方もあるのかと、まさに目から鱗が落ちる思いでした。

三上 そういう思いを、地元の松山での活動に繋げたわけですね。

日野 そうです。日本青年会議所の元会長で、ご自身も地元の八戸で「LOVE八戸運動」を推し進めていた河村さんという方に、「お前は松山が好きか」と訊かれたことがあったんです。自分の住む町ですから、当たり前です。好きですと答えたところ、「じゃあ松山のどこが好きなんだ」と問いかけられた。正直、そこまで深く考えたことはありませんでしたから、そのときは答えに窮してしまいました。が、それをきっかけに松山のことを深く考えるようになりました。正岡子規や秋山真之といった偉人も含め、無数の先人が作り上げてきた松山には、どのような魅力があるのだろうか。その中で、私は、そして私の経営する会社は、どのような貢献ができるのだろうか。

そんな自問自答を繰り返すうちに、現在のスタンスが固まってきたように思います。

「自らの利益を求めない。そんな無私の気持ちが社会貢献の信条」
(深谷氏)

三上 いわば地域に対する「愛」という視点から、具体的な活動へと繋げてきたわけですね。深谷会長は、社会貢献に対して、どのような視点をお持ちでしょうか。

深谷 私には4人の子どもがいるものですから、PTA活動を通じて地域社会との接点を持ちました。社会貢献と呼べるほどの活動ではありませんでしたが、地元の高齢者や婦人会と連携し、学校行事に携わっていたんです。その一方で、以前からパチンコ業界としても、何らかの活動を通して社会に恩返しできないか、そして少しでも業界のイメージアップを図れないかという強い思いも持っていました。実際に、そうした活動を実行に移すにあたり、自分の指針となっているのが、愛知県遊協の青年部で部長を務めていた15年前、三笠宮寛仁殿下からいただいたお言葉です。殿下は、「社会貢献とはボランティアであり、自らの益を求めてはいけない」と、そう仰しゃったんです。言ってみれば、私はそれまで社会貢献を業界のイメージアップのための一つの方策と考えていたのですが、殿下は無私の心の重要性を説かれたわけです。その言葉に、とても感銘を受け、現在まで、つねにその心を忘れないようにしています。

三上 始める前から自分の利益を考えない。それが、より充実した活動をもたらすということですね。

深谷 そうですね、歳を重ねるごとに、ますます、その思いは強くなりました。また、殿下は、「小さな活動でもいいから、身の丈にあったことを長く続けることが大切」とも仰しゃいました。たしかに、一時的に大規模な援助をしても、それが急速にしぼんでしまう例は少なくありません。しかし、志を同じくする人を集め、コツコツと地道に続けていくほうが、本来の意味でのボランティアに繋がることが多いと思います。一個所に多額の援助を求めるのではなく、たくさんの人に話し、理解を得ることで、小口の援助を数多く集める。結果として、それが同額であれば、多くの人の賛意を得たという点で、より充実した活動といえるはずです。そして、もう一つ、お金だけではなく、つねに率先して自分が汗を流す。それも信念として、これまで続けてきました。

「ボランティアは、人の結びつきを強める──。 活動を通して、はじめて実感」
(小島氏)

三上 つい先日も、身体障害者の方々をディズニーランドに連れて行かれたそうですね。

深谷 12年ほど前から、40数名ほどの重度障害の方が入居する「豊田光の里」という施設の後援会代表幹事を務めています。毎年後援会主催で旅行会をしていますが、入居している人の中から、今年ディズニーシーに行きたいと言われ、実行しました。中には通常の車椅子も使えない方もいたのですが、ホテルにも相談し、協力を得たうえで行いました。

三上 日ごろから、障害者の方と接する機会も多いのでしょうか。

深谷 そうですね。実際問題として何度も顔を合わせなければ、分からないことも多いものです。入居者の中に、私のことを気に入ってくれているというか、私が行くと、とても喜んでくれる人がいるんですね。その方は私の顔を見ると興奮気味になり、痙攣を起こしてしまうんです。最初は、嫌われてるんだ、近づかない方がいいかな、とも思っていたのですが、接するうちに好意を持ってくれていることに気付き、そして私から手を握れば、状態が落ち着くということも分かり、感動しましたね。

三上 共に時間を過ごすことで、理解できたわけですね。

深谷 その通りです。これは殿下も仰しゃっていたことなのですが、たとえば私はフランス語を話せない。つまりフランスでは言葉に不自由するわけです。それと同様に、たまたま手が不自由だったり、脳に障害を持っている人がいるということなんだろうと思います。しかし、意識も心もあるのは、私も含めて誰もが一緒です。時間を掛ければ、お互いを理解できる、つまり世の中に障害を持つ人も健常な人もないということです。ですから、上から見るのではなく、障害を持つ方も公平な生活ができるように手助けするという視点が大切だと思っています。

三上 小島さんも、都遊協の青年部を率いて、さまざまな活動を行いましたが、そもそものきっかけは何だったのでしょうか。

小島 日本海でナホトカ号というロシア船籍の船が座礁した事故はご記憶にあると思います。都遊協の青年部は、業界の健全化・近代化の為に発足した組織ですが、社会貢献の面でも実動部隊として活動できないかという考えがあったんですね。ナホトカ号の事故直後に開かれた理事会で、原油が漂着している海岸にボランティアを派遣するという案が出ると、みんなが一斉に私の顔を見たんです。その時、私が青年部の代表を務めていましたからね。分かりました、行けばいいんでしょう、と(笑)。

三上 そして、実際に現地に赴き、作業された。

小島 はい、総勢30名が集まりましたが、みんな経営者の二代目ですから、自分の仕事も忙しく、夜中の2時、3時まで台を点検して、翌朝、一番の飛行機で現地に向かいました。雪の降る寒い時期で、現地は荒天と聞いていたのですが、幸運にも一日だけは素晴らしい晴天でした。そんな中で、防毒マスクや軍手などを支給され、ボランティアで汗を流すということをはじめて体験しました。私たちのグループは互いに同業者であり、ライバル関係にあります。しかし、共に額に汗することで不思議な一体感が生まれ、絆も深まりました。ボランティアには人と人を結ぶ力もあることを強く実感しましたね。

三上 その体験が、その後の活動の原点となったわけですね。

小島 そうですね。ナホトカ号を発端として、カンボジアでの地雷撤去、そして治安を守るための若者の団体「ガーディアンエンジェルス」や、盲導犬の育成団体への援助といったさまざまな活動に取り組んできました。中小規模のホールは、どこも競争を生き抜くために必死ですが、それでも営業を続けられるのは、町の治安が守られているのと、自然災害の被害を受けていないからです。それを当たり前と思うことなく、感謝の気持ちをボランティアに注ぎ込もうという思いで、これまで続けてきました。

三上 新潟県の中越地震でも、都遊協は、素早い対応を見せていたようですね。

小島 10月23日に地震が発生すると、28日には緊急の執行部会を開き、募金を募ることを早々に決めてしまいました。更に、救援物資を届けると同時に、現地で必要としているものを見極める為に、ボランティアを兼ねて青年部の5名が被災地を訪れ、視察に回っています。彼らの適切な決断力と迅速な行動力には一組合員として、大変誇りに思っている次第です。

三上 各地に被害をもたらした台風23号や、中越地震の発生を機に、日遊協でも会員から募金を集めて「日遊協ボランティア団体応援基金」を立ち上げ、現地で活動するボランティア団体を支援することを決めました。1000万円を目標としており、今後、他に自然災害が発生した際にも、この基金で素早く対応していく考えです。すでに、日遊協のホームページを通し、第1回の助成希望団体を募集しました。昨年暮れに審査委員会を開き、2団体に贈呈することになりました。

「社会貢献ではなく、『社会参加』。社会に参加することで本人も元気になる」
(高橋氏)

三上 ここまで社会貢献に対する思いを、それぞれ語っていただきましたが、こうしたパチンコ業界の取り組みについて、高橋さんは、どのような感想を持たれましたか。

高橋 第一回目でも取り上げられている「島田療育センター」をパチンコ業界の方が設立し、その後も援助を続けていると知ったときには本当に驚きました。正直に言って、私がパチンコ業界に対して抱いていたイメージと、島田療育園の活動というのは、正反対に位置していましたから。そうした活動を、一般的には社会貢献と呼んでいますが、私は「社会参加」だと考えています。上からの視点で「貢献」するのではなく、あくまで社会に参加するという態度が大切だと思っているからです。これまでの日本は、行政は行政、企業は企業というように、縦割りというか、まるで蛸壺の中に閉じこもって、その小さな社会の中での価値観や常識で完結していたように思います。しかし、高度経済成長を終えて、価値観は多様化し、人口構造は変わり、経済も文化もグローバル化の一途を辿っています。そうした中にあって、さまざまな面で自分たちの活動に無理が生じていることに気付き、ようやく蛸壺から這い出て、広い社会という土俵に参加して役割を模索しているのが現状だと思います。

三上 その答えの一つに、「社会参加」があるということでしょうか。

高橋 そうかもしれませんね。私の前職は心理カウンセラーで、不登校やひきこもりに陥った多くの子どもに接してきました。彼らは、総じて、自分は大したことのない、役に立たない人間だと思い込んでいます。その状態を改善するためには、自分は誰かに頼りにされているんだという確かな実感を得ることが大切です。人間は、役に立っていると思えることで元気が出るものなんですね。その点、いわゆる社会貢献を通して、社会に参加するという行為は、誰にとっても、自分の自信に繋がるものです。会社を通して行えば、それは社員の元気の源になります。社員の間に問題意識も芽生えます。そうした側面からも、企業の社会参加が求められているのが現代という時代なのではないでしょうか。

日野 たしかに、そういう実感はあります。愛媛県下の各ホールでは、駐車した車内で幼児が亡くなるという事故を防ぐために、それぞれが駐車場のパトロール隊を組織しています。ところが、街の中心部の駐車場を持たないホールでは、やることがない。そこで、青少年の非行を防ぐ狙いで街中をパトロールしているんですね。商店街の会長や民生委員なども一緒に回っているんですが、いざ暴走族の連中なんかに注意をしても、なかなか言うことを聞かない。ところが、ウチの若手社員が一声掛けただけで、みんな話を聞くんですよね(笑)。連中と知り合いだったようなんです。一緒に回っていた人たちから、すごいね、なんて頼りにされて、本人も喜んでいるし、しだいに地域に対する問題意識も芽生えてきています。

高橋 何かを提供するつもりが、逆に自分が貴重なものを受け取っている。社会参加には、そうした側面があると思います。

日野 パトロールの際に、ついでにゴミを拾おうと、みんなでゴミ袋を持って回ったんですね。そして高齢者の方々も一緒に、みんなでゴミを集めていたら、関係のない若者なんかも拾ってくれるんです。そんな感じで周囲の人も巻き込めれば、次は何をしようかと、活動のアイデアは広がります。実際に行動してみると、予想外の答えがいろいろ返ってくるということを実感しますね。(後編へ続く)

○出席者

日本フィランソロピー協会理事長高橋陽子氏
日遊協会長深谷友尋氏
日遊協副会長小島 豊氏
日遊協理事 愛媛県遊協理事長日野二郎氏
司会・日遊協専務理事三上和幸氏
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